AOPY の世界遺産訪問報告
 

















概要:
アルメニア共和国北部、グルジアとの国境付近のロリ地方にある修道院。ハフパット修道院は991年完成。
サナヒン修道院も同時期に建設され、アルメニア正教の中心的役割を果たしたが、両者とも12世紀のモンゴル、13世紀にはセルジューク朝の攻撃を受けた。

















































































概要:
4世紀初頭には既に開設されたと言われ、現在残っている中央聖堂1215年から1283年にかけて造られた。ゲハルトとは「槍」を意味し、キリストの脇腹を突いた聖槍がこの地から発見された事に由来を持つ。岩盤を穿って造られた3層の聖堂、聖廟、僧房が残っている。十字架を彫った石版がいたるところに設置されている。







































































概要:
エチミアジンは117年に建設された当時のアルメニア王国の首都。2世紀末、聖グレゴリウスはキリストが降臨し、金の金槌で地上を打ったというヴィジョンを目撃した。彼はお告げに従い、この地に木造の教会を建てたのが始まりであると言われている。世界で最初の公式のキリスト教会である。
スヴァルトノツ遺跡は7世紀に建てられた壮大な教会だったが、10世紀にイスラム教徒によって徹底的に破壊された。

































































概要:
ピレネー山脈最深部、フランスとスペインの国境に挟まれた小国、アンドラ公国にある渓谷。山深い場所に牧草地、集落、製鉄所跡などが存在し、700年以上にわたる山岳地域の人々の生活が偲ばれる。17〜18世紀にはこの地域で採れる鉄鉱石の活用で製鉄業が盛んであった。







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荒涼とした自然の中の壮麗な修道院
ハフパットとサナヒンの修道院群

★★★★  2010年11月訪問
感想:
アルメニアは世界で最初にキリスト教を国教に制定した国。従いましてかなり古くからの教会や修道院が点在しています。どちらも石造りの堅牢な修道院で、黒光りする壁や柱、十字架が刻まれた石版が数多く安置されており、非常に重厚で厳かな雰囲気に包まれていました。双方とも幾度と無くセルジューク=トルコやモンゴル帝国などの異教徒に破壊されたり、地震によって崩壊したりと長い歴史の中で苦難の道を歩んできたのです。このアルメニア北部地方は、そそり立つ岩肌の山々や、荒々しい断崖絶壁のある風景が展開しており、しかもそのようなダイナミックな自然の中に人々の日常生活が営まれています。中でも、サナヒンやオゾンの町は、わかりやすく言うと丁度、グランドキャニオンの上の台地になった部分に町が乗っかっていると言った感じです。つまり町の端っこは断崖絶壁といった感じでした。そういった自然環境もこれらの修道院をより神秘的なものにしていると感じました。
アクセス:グルジアのトビリシからタクシーをチャーター。

  
ハフパット修道院                            鐘楼

  
ハフパット修道院内部                         祭壇部分

  
サナヒン修道院                              鐘楼

  
サナヒン修道院内部。                          特徴的な十字架。

  
静寂に包まれていました。                       祭壇部分


岩に刻まれた神秘の十字架

ゲハルト修道院とアザート川上流域

★★★★  2010年11月訪問
感想:

こちらもダイナミックな風景が展開しています。特に世界遺産にも指定されているアザート川上流地方は、荒涼とした岩山、奥深い渓谷と、やはりこちらもそのような自然環境の中での人々の生活がありました。ゲハルト修道院はすぐ裏手に断崖絶壁の岩山が迫っており、岩肌には数多くの十字架が刻まれていて非常に神秘的でした。4世紀ごろ迫害された修道士達がこの地に集まり、岩をくり抜いて3層の聖堂、霊廟、僧房を造ったのが始まりだそうです。訪れた時丁度、少年と少女の兄妹の洗礼式が執り行われていて、非常に厳かな雰囲気に包まれていました。アルメニア正教の神聖な洗礼の儀式を垣間見ることができ、非常に幸運でした。
アクセス:イェレヴァンからタクシーをチャーター。


アザート川上流域はドラマティックな地形が展開しています。

  
ゲハルト修道院 中央聖堂                     祭壇部分

  
断崖絶壁と修道院。                          岩に刻まれた十字架の数々。

  
洗礼の儀式の様子。後ろでご両親が見守っておられました。  厳かな雰囲気が漂っていました。

       
           修道院内には様々な形状の神秘的な十字架が刻まれていました。


世界初の正式の教会であるアルメニア正教の総本山

エチミアジンの大聖堂と教会群、及びズヴァルトノツの古代遺跡

★★★  2010年11月訪問

感想:
エチミアジンはアルメニア正教の総本山で、アルメニア人の心のよりどころ。内部に入ると美しいフレスコ画や煌びやかなイコンで埋め尽くされており、ハチュカルと呼ばれる十字架の碑がたくさん並んでいました。併設されている博物館にはキリストを刺したローマ兵の槍や、ノアの方舟の破片などが展示されてありました(内部は撮影禁止)。非常に荘厳な雰囲気に包まれ、この教会がアルメニア正教の聖地である事を強く感じました。スヴァルトノツは大聖堂から約4km。廃墟ではありますがここがいかに壮大な教会であったかが理解できました。

アルメニアはタクシーをチャーターしっぱなしで旅人として失格だ、などど叱られそうですが、チャーターしたタクシーの運ちゃんがとてもいい人で、運転している間中車からの風景を説明してくれていました。しかし、英語は全く通じず、なんとかロシア語で意思の疎通を・・・。カフカス諸国は英語よりもロシア語がよく通じます。途中で道端で売っていたナッツやリンゴを買って分けてくれたりして、親切丁寧で本当にいい人でした。まるで日本人のように気配りの利く運ちゃんでした。結局3日間チャーターしましたが、同じタクシーを3日連続でチャーターしたのも初めてでしたし、最初にかなり値切った事を申し訳なく思ったのも初めてでした。
アクセス:イェレヴァンからタクシーをチャーター。

  
エチミアジン大聖堂                           正面部分

  
聖人の墓標                                入り口部分

  
スヴァルトノツ遺跡                            かつてここに巨大な教会がありました。







アンドラ公国

ピレネーの山奥にひっそりと佇む羊飼いの領地
マデリウ=ペラフィタ=クラーロル渓谷

★★ 2014年9月訪問

感想:
アンドラ公国はとても不思議な国で、ピレネー山脈の一番深いところに位置している小国ですので、とんでもない秘境かと思いきや、税金が安いため(国内の商店はすべて免税で、現在一般消費税は4%)、フランスとの国境には一大ショッピング・センター街があり、大変な買い物客でにぎわっていました。首都のアンドラ・ラ・ベリャもびっくりするぐらいの都会で、秋葉原にあるような感じの商業ビルが立ち並んでいます。この辺の様子は旅の随筆、フランスを走る!後編:南半分、ニースからボルドーまで5000キロ、レンタカーの旅」でじっくりお伝えすることにして、肝心の世界遺産ですが、その首都のアンドラ・ラ・ベリャから車で10分ほど山側に入ったところに世界遺産の渓谷への入り口らしき所がありました。入り口と言っても何の変哲もない山道の入り口で、駐車場もなく世界遺産の看板もありませんでした。まあ、登りたいなら勝手にどうぞ、といった感じでとても好感は持てますが、ここが本当に世界遺産の入り口なのかと不安になったりします。その辺の道路の路肩に車を止めて、細くゴツゴツした石畳、と言っても粗末な山道を登ること約2時間、やっと集落らしき場所にたどり着きました。着いた時にはすでにヘトヘトになっており、最近の世界遺産訪問では最も体力のいる物件でした。集落と言っても現在ではだれも住んでいる人はいないらしく、また保存のためか、集落へは立ち入り禁止みたいになっていました。細い渓谷を登って行きますので、集落に到着した時はぱっと雄大なピレネーの風景が広がったときは、その風景の美しさの感動よりは、この道で良かったんだという安心感のほうが大きかったです。訪問前は簡単に登れるものだと思って、ドレスシャツにGパン、革靴と普通の街歩きと同じいでたちで行ってしまい、すれ違った幾人かの本格的重装備のハイカーの人たちに不思議な目で見られ、こんな山奥でもやっぱり浮いてしまいました。これはちょっと反省です。
アクセス:アンドラ・ラ・ベリャから登山口までレンタカー、集落まで徒歩。

  
こんなところから登って行きます。案内の看板はありますが・・・。かなり険しい山道。

  
振り返ると雄大なピレネー山脈が・・・。               渓流の音が疲れを癒してくれます。


最初の山小屋に到達。


2時間ほどで集落に到達。こんな所にも人々の生活があったんですね。


囲いのようなものが見られます。羊を放牧していたのでしょうか。

  
登り口のすぐそばにあった鉄のオブジェ。製鉄が盛んだったことを物語っています。


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