AOPY の世界遺産訪問報告
 

















概要:
紀元前1世紀、ドナウ川河畔にウィンドボナと名付けられたローマ帝国軍の駐屯地が築かれたのが街の始まり。1278年よりオーストリア公ハプスブルク家の支配下に入り、14世紀には聖シュテファン寺院、ウィーン大学などが建設され、以降ハプスブルク君主国の首都として発展していった。15世紀半ばからハプスブルク家は神聖ローマ皇帝の帝位を世襲化し、1483年にはウィーンは神聖ローマ帝国の首都になった(1806年まで)。特に18世紀のバロック時代、ベルヴェデーレ宮殿が建設され、華やかな宮廷文化でヨーロッパの文化・芸術の中心都市として繁栄を極めた。特に芸術においては、ウィーン古典主義から近代音楽に至るまで、多くの偉大な音楽家を輩出し「音楽の都」として現在も君臨し続けている。

























































































































































































































































































































































































概要:
ウィーン市内にあるハプスブルク家の夏の離宮。シェーンブルンとは「美しい泉」の意味で、17世紀初頭に神聖ローマ皇帝マティアスが狩猟用の館付近で泉を発見し、この名前の由来となった。1693年、レオポルド1世が宮殿建設を開始し、その後歴代の皇帝が増改築を繰り返し、現在の姿はマリア・テレジア(在位:1740〜1780)が完成させた。1762年モーツァルト6歳の時の御前演奏、1815年ウィーン会議の舞台、1961年ケネディ米大統領とソ連のフルシチョフ首相の会談が行われたことでも有名。ヨーロッパで屈指の壮大なバロック建築で、華麗なウィーン・ロココ式の内装を持つ。ハプスブルク家の栄華を今に伝える最も象徴的な建造物である。






















































































































































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栄光のハプスブルクの帝都

ウィーン歴史地区 

★★★★  1993年6月〜2001年3月、2002年7月、2004年4月、2017年5〜6月訪問
感想:
今回の旅は母と姉を連れてオーストリア〜チェコ〜ドイツ〜ハンガリーとレンタカーで回ってきました。旅の様子につきましては「旅の随筆:中欧を走る!」で詳しくお伝えすることにいたしまして、このウィーンはかつて何度も訪れた街ですが、人と会ったり、ちょっとした用事をしたりであまりマトモな観光をしていませんでした。よく考えたら今までウィーンやオーストリアのガイドブックすら持ったことがないというありさま。このホームページでもオーストリアのコーナーを記載していましたが、記事もショボく、写真もほとんど無く、デジカメでもなく、たいへん恥ずかしい思いをしておりまして、何とか早くマトモなものに更新しなければと気になっておりました。今回の旅ではそういうこともございまして、また母と姉はウィーンは初めてということで、今回真面目に観光をしてみました。今回の旅でオーストリア国内の世界遺産8カ所すべてを訪問し、以前このホームページに載せていた記事もすべて書き直し、写真も新しいものに入れ替える予定です。
さて、以前「ウィーン・カード」という観光用の特典カードがありましたが、各入場料金が1〜2ユーロほどしか割引されず、あまりお得感がなかったので買ったことはありませんでしたが、最近「ヴィエナ・パス」なるものが登場し、ウィーンのみならず周辺の街の観光名所も無料、さらにはHOP ON HOP OFFという観光バス(オープンカーで乗り降り自由)も無料で利用できるとのことで、今回2日間のパスを利用してみました。結果から先に申し上げますと、かなり十分に元が取れました(どのくらいお得になったかの詳細につきましては、こちら。)。ウィーンの観光名所はコンパクトにまとまっていて、リンク内の主要スポットも歩いて回れます。今回は美術史博物館のそばにアパートメントを借り、国立オペラ座からスタートし、ケルントナー通りを北上。カプツィーナ教会〜ヴィンターパレ〜シュテファン寺院〜モーツァルトハウス・ウィーン、そしてシュテファン・プラッツからグラーベン通りを歩き、ペーター教会、コールマルクト通りを経てデーメル〜ホーフブルク王宮内(銀器コレクション、シシィ博物館、皇帝の部屋、宝物館、国立図書館)〜アルベルティーナ〜演劇博物館〜ブルク公園〜美術史博物館と周りました。次の日はパスが使える観光バスに乗りってシェーンブルン宮殿〜ベルヴェデーレ宮殿と訪れ、最後の仕上げにその観光バスでリンクを一周しました。入場券を買うのに並ばなくてもいいですし、観光バスも乗り降り自由ですし、何よりも無料になる観光名所の数が多いということが、鬼のように訪問しまくる僕にとっては最高の魅力でした。今回久々にウィーンを訪れ、数日かけて世界遺産物件をくまなく回りましたが、特にハプスブルク時代の華麗な宮廷文化が花開き、ヨーロッパの広大な地域を支配した大帝国の都であったことをあらためて感じることができました。詳しい感想は、こちら
アクセス:シュベヒャート空港からタクシー。


ベルヴェデーレ宮殿(上宮、1723年完成)。現在は19~20世紀のオーストリア絵画の美術館になっています。

    
内部は世界最大のクリムトのコレクションがあり、シーレ、ココシュカなどのウィーン世紀末の画家の作品も豊富。

  
グスタフ・クリムト「接吻」(1907~8年)。               グスタフ・クリムト「ユディット I 」(1901年)。


国立オペラ座前には現在上演中のオペラがスクリーンに映し出されていました。


ウィーンのメインストリート、ケルントナー通り。20年前の方が華やかだったと思うのですが・・・。

  
グラーベン通りのベスト記念柱。                    モーツァルトハウス・ウィーン。

  
シュテファン寺院。南塔は137mでヨーロッパで3番目の高さ。   身廊から祭壇方向を望む。

  
ウィーンのメイン広場、シュテファン・プラッツ。              ペーター教会(1701~1733年)。

  
ペーター教会の祭壇部分。                      ロットマイヤー作の「聖母マリアの被昇天」。


ホーフブルク宮殿。ハプスブルク家の600年にわたる王宮。

  
王宮内部にある宝物館。神聖ローマ皇帝の王冠(962年)。    オーストリア皇帝のマント(1830年)。

  
オーストリア皇帝の王冠(1602年)。                 香油入れ。2680カラットの巨大なエメラルド。

  
シュテファン・ボクスカイの王冠(1605年ごろ、トルコ製)。      神聖ローマ帝国の十字架(11世紀ごろ)。

  
世界一美しいといわれる図書館、国立図書館プルンクザール(18世紀前半)。天井のフレスコ画も壮麗。


王宮前の通りを行く馬車。「ヴィエナ・パス」でも乗れます。

  
アルベルティーナ。1776年創設の世界最大のグラフィックアートを所蔵。ピカソの作品も豊富。

    
訪れたときはちょうど、「モネからピカソへ」と題した特別展をやっていました。

    
ブルク公園のモーツァルト像。街歩きで疲れたらちょっと休憩。ト音記号の花壇が素敵。

    
オーストリアを代表する美術館、美術史博物館。  エントランスを入ってすぐの階段。

  
貴重な絵画を3段重ね展示。贅沢ですね〜!           ラファエロ「草原の聖母」(1505年ごろ)。


夜9時までやっている木曜日に行ったのでゆっくり見学できました。

        
ハプスブルク家と言えばこのお二人、喪服のマリア・テレジアとマリー・アントアネット。


館内には世紀末風のカフェがありました。芸術に浸って優雅にお茶でも。行ってませんが・・・。
(´・ω・`)


ブリューゲルのコレクションは世界最大と言われています。


ブリューゲル「雪中の狩人」(1565年)。


ブリューゲル「バベルの塔」(1563年)。


ナッシュマルクト付近のマジョリカハウス。オットー・ワーグナーによるユーゲントシュティールを代表する作品。


絵画だけでなく、建築の分野でも世紀末芸術の宝庫です。



ハプスブルクの栄華とともに歩んだオーストリア・バロック建築の極致

シェーンブルン宮殿とその庭園群

★★★  1993年6月、2001年3月、2002年7月、2004年4月、2017年6月訪問
感想:

この世界遺産ももう何度も訪れてはいるのですが、何故か宮殿内部に入ったことは一度もなく、ホームページに載せている者としては大変心苦しい思いをしておりました。同行した母と姉は初めてということもありまして、今回宮殿の内部も十分に見学いたしました。ただし、宮殿内部の写真撮影は禁止になっていますので、写真は絵葉書等から転載しております。このシェーンブルン宮殿も先ほどウィーンの項目で述べました、「ヴィエナ・パス」が使えますので、各入場でいちいち並ばなくてもいいので大変有益でした。また動物園やオランジェリー、馬車博物館など、敷地内の別料金の施設もすべてフリーパスで、しかも広大な庭園を一周するチキトレインも乗り放題になり、さらに市内〜シェーンブルン宮殿〜ベルヴェデーレ宮殿〜市内のHOP ON HOP OFFと呼ばれる観光バスも乗り降り自由の至れり尽くせりでので、大変お得なのでおすすめです。
さて、シェーンブルン宮殿は同じバロック建築の双璧であるヴェルサイユ宮殿とは違い、なんとなく気品といったようなものが感じられます。「マリアテレジア・イエロー」とよばれる美しいエクステリアのせいでしょうか。本来なら外壁は金で覆われるはずだったそうですが、財政難を理由にマリア・テレジアが淡い黄色に変更したそうです。これが金色だったらいかにも下品な感じになっていたことでしょう。(あ、そういえば3年前に久々にヴェルサイユ宮殿を訪問したら、外装に金箔を貼っていましたね。)内部は優雅なウィーン・ロココ様式ですが、部屋によっては貝殻やサンゴ、草花などをモチーフにした装飾もあり、豪華さの中にもユニークな仕上がりになっていました。また庭園も素晴らしく、宮殿の南側に広がる庭園には、柱廊建築グロリエッテや世界最古の動物園、大温室などが点在して訪れた者を飽きさせませんでした。今回訪れたのは6月でしたので、ちょうど真紅のバラが美しく咲き誇っていました。グロリエッテは小高い丘になっていますので見晴らしも素晴らしく、ウィーンの街を遥かかなたに望み、庭園の緑と美しい花々の中にこの気品ある淡い黄色の外壁がとても映えていました。ハプスブルク家の栄光栄華とともに歩み、様々な歴史の舞台となったシェーンブルン宮殿ですが、1918年、ついには最後の皇帝カール1世がこの宮殿内の「青の陶器の部屋」において皇帝位放棄の署名をしました。そして640年に及んだ帝国の歴史はこの宮殿にて終焉を迎え、オーストリアは共和制に移行したのでありました。そんな西洋史におけるひとつの栄枯盛衰の物語に思いをはせながら、この宮殿を後にしました。

アクセス:ウィーン市内の美術史博物館前のバス停から、HOP ON HOP OFFバスで。


グロリエッテからシェーンブルン宮殿、及びウィーン市街地を望む。右端はシュテファン寺院。


庭園を挟んで宮殿の向かいの高台に位置するグロリエッテ(1775年)。


正面には馬車がたくさん停まっていました。


宮殿の東側の枢密院庭園。


オランジェリーにあった花のワゴン。


庭園もゆっくり散策。


大ギャラリー。舞踏会や晩餐会の会場。(絵葉書より。内部は撮影禁止。)


漆の間。壁面の漆塗りは中国製。マリア・テレジアが亡き夫の思い出のために改装。(絵葉書より)

  
マリアテレジア・イエローと真紅のバラが絶妙のコントラスト。


バラのトンネルを抜けて行くと・・・。


宮殿の西翼側の庭園。


緑と花に満ち溢れた小径を歩いて行くと・・・。


パルメンハウス。ヨーロッパ最大規模の温室。


併設されている馬車博物館。

 
18〜20世紀までの様々な馬車が展示されていました。


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