AOPY の世界遺産訪問報告
                                                       ベラルーシ旅行記(4)
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ベランダの陽だまりの中で



  さて、レーナさんのお父さんのイヴァンさんは68歳、とても温厚で優しい方です。もう引退して年金生活を送っています。口数は少なく、いつもニコニコしています。また、僕にも大変親切にしてくれます。東欧のお父さん方は、概して明るく豪快で、いつも酔っ払っている人が多いのですが、彼はとても上品で知的な感じがします。イヴァンさんは古いアルバムを持ってきて、これ私だよと見せてくれました。セピア色の随分古めかしい写真でした。何か軍服を着ているようです。とても凛々しく美しくさえあります。彼はなんとあのソ連・KGBの職員だったのです。フルシチョフ政権時代に入省し、キューバ危機、ベトナム戦争、北海道のミグ25緊急着陸事件、アフガン戦争など、60〜80年代東西冷戦時に東側の官僚として働いていたそうです。日本は完全に敵国だったわけです。とりわけ、米ケネディ政権下のキューバ危機では、アメリカとの核戦争の一歩手前まで行ったそうです。ベルリンの壁崩壊時は、東ドイツのライプツィッヒに駐留していたそうで、壁崩壊当時は何かとんでもないことが起きたと思ったそうです。その後まもなくソ連邦崩壊、その時初めて彼は、自分の役目が終わったと実感したそうです。KGBにいた頃は、ソビエト共産党が世界で唯一素晴らしいものだと思っていたそうですが、今になってみると自分は何もわかってなかったのだと振り返ります。歴史の証人です。

  イヴァンさんはタバコを吸いに行こうと、ベランダの方を指差しました。レーナさんはそれを見ていやな顔をします。この国でも喫煙家は嫌われているのです。僕達はそそくさとベランダに向かいました。彼は僕にロシアタバコを差し出し、僕は持っていた日本のマイルドセブンを彼に渡しました。スパシーバと言って、彼は珍しそうにそれを眺めていました。考えてみるとかつての敵国である日本人の僕と、あの泣く子も黙るソ連KGBの元職員が、こんなところで一緒にのんびりタバコを吸っているなんて、誰が想像したでしょうか。しかも、KGBの職員の自宅でです。10年前まででしたら、こんなところを当局に見つかると、僕は即刻逮捕、彼は失職し、一家はみんなシベリア送りになったことでしょう。大げさかもしれませんが、実際そうだったのです。外国人と話しているだけで、秘密警察に逮捕された時代が、ついこの間まで確かにあったのです。彼は英語を話さないし、僕のロシア語は言語障害の域です。僕達の間に会話はありませんが、彼が何を言いたいのかはよくわかっています。彼はタバコをゆっくりと燻らせながら、やさしい笑みを浮かべて公園の方を眺めているだけですが、彼にも僕が今何を考えているかはわかっているはずです。
子供達が無邪気に遊んでいる声が聞こえてきます。暖かい日差しが差し込んできました。僕達はこんな時代を待っていたのかもしれません。

                       ミンスクにて (2001年5月4日)


スヴェトラーナちゃんとおじいさん


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