AOPY の世界遺産訪問報告
 




















概要:
ボスニア=ヘルツェゴビナ、スルプスカ共和国と、セルビア国境に程近い小さな町ヴィシェグラードにあるドリナ川にかかる橋。16世紀、オスマン帝国統治時代に建設された。イヴォ・アンドリッチのノーベル文学賞受賞作、「ドリナの橋」の舞台として余りにも有名。




































































概要:
1566年、オスマン帝国統治下で建設された。1993年、ボスニア紛争でセルビア人によって完全に破壊され、2004年再建された。













































































































































概要:
ポーランド南部にあるこの国第3の都市。17世紀までポーランド王国の首都だった。14世紀にはヤギェウォ大学、織物取引所、聖マリア教会などが建てられ、ポーランドのみならず、東欧で最も歴史ある街と言われ、「ポーランドの京都」とも言われている。





















































概要:
ポーランドの首都にある旧市街地区。13世紀に建設され第2次大戦でほぼ壊滅し、その後ワルシャワ市民の力で再建された。



























































概要:
1940年から1945年まで存在したナチス=ドイツによるユダヤ人強制絶滅収容所。人種差別政策の象徴。アウシュヴィッツはポーランドではオシフィエンチム、ビルケナウはブジェジンカという。
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激動の歴史を見守り続けてきた「ドリナの橋」
ヴィシェグラードのメフメド・パシャ・ソコロヴィッチ橋

★★★★  2010年7月訪問
感想:
アンドリッチの「ドリナの橋」を読んで、どうしても訪れたくなった物件。その小説の通り、この橋は約400年間この地域の激動の時代を見守り続けてきました。幾度と無く戦争で破壊されては再建され、ドリナの川の流れと共に移り行く時の流れ、さらには様々な民族が集まり散じた歴史を今も静かに語っているかのようでした。実際に訪れて、ひっそりとしたその佇まいを感慨深く眺めていますと、ユーゴ内戦を経て一応の平和を取り戻した現在、アンドリッチの言う「民族共生」が実現したのだろうかと問いかけてみたいと思いました。この地域はスルプスカ共和国内で、ボスニア=ヘルツェゴビナといってもサラエヴォとは違い、セルビア人の地域で、セルビア国旗が掲げられていました。
アクセス:サラエヴォからレンタカー

※レンタカーでの旅の様子は こちら


山に登って上から橋を鑑賞。本当に美しい橋でした。
いきなりセルビア国旗によく似た旗が・・・、いいのかな??

  
橋を渡ってみました。橋の中央部分にある碑はアラビア文字で書かれています。


ドリナの橋は今日も川の流れを見守っています。


橋からの眺め。ちょうど虹がかかっていました。


民族紛争の象徴から平和の象徴へ

モスタル旧市街の古橋地区

★★★★  2010年7月訪問
感想:
こちらは完全にイスラム人の地域。といってもネレトヴァ川の西側はキリスト教徒の地域です。このあたりは民族と宗教が非常に微妙な感じでした。特に国境地域や民族居住区の境界線沿いは、例えばキリル文字の看板にスプレーでいたずらされていたり、まだまだ完全には平和であるとは言いがたいのではないでしょうか。この橋も、民族紛争を経て、民族共生・平和といった象徴として再建されました。橋の周りにはお土産屋さんが立ち並び、ドリナの橋とは全く雰囲気が違い、完全に観光地といった感じでした。まあ、人々は素朴で、観光地ズレしているわけでもなく、好感の持てる物件ではありました。
アクセス:スプリトからレンタカー

※レンタカーでの旅の様子は こちら

  
モスタルの橋                              橋の石畳は滑りやすく大変危険です。

  
世界遺産だ!間違いない!                   急な坂になっていますので気をつけてください。

  
この旧市街地はイスラム教徒の地域ですので、モスクやミナレットが多く建っていました。

  
お土産屋さんが立ち並んでいます。                 橋とミナレット。


橋は結構高いです。


橋からの眺め
  
趣のある地区                              夕闇迫るモスタルの町。






中世東欧の気品漂うポーランドの京都

クラクフ歴史地区

★★★★★  1998年5月、2001年3月、2002年7月、2004年3月訪問

感想:
世界で最初に世界遺産になったところです。奇跡的に第二次世界大戦の戦火を免れ、中世の街並みがそのまま残っています。僕が初めて訪れた東欧の街として、とても思い出深い街です。初めてウィーンから訪れた時は、ホテルのレセプションやレストランの従業員が余りにも愛想が悪いのでいきなり面食らったのが最初の印象でした。最近ではそうでも無いとは思いますが、2001年の頃はまだ、共産主義時代の悪い癖が直っていなかったのでしょうか?当時はまだまだ日本人が珍しかったのでしょうか、行きかう人にジロジロ見られたものでした。でも、女性が大変美しかったので、まんざらでもありませんでしたが・・・。
(^^;
見とれていたら、車にひかれそうになりました。

アクセス:ウィーンから電車(1998年、2001年)ブカレストから電車(2002年)、リヴィフから電車(2004年)

  
ヴァヴェル城                               聖マリア教会

  
バルバカン


ヤギェウォ大学構内にて。



廃墟から見事に復元された旧市街地
ワルシャワ歴史地区
★★★★  1998年5月、2001年3月訪問

感想:
ワルシャワ旧市街地は、戦争で90%が破壊された後、市民によって写真や絵画や記憶などに頼って、完璧に再現されました。なんとレンガのひび割れに至るまで再現したと言う徹底ぶりで感心させられます。この辺が日本の街づくりと違うところですね。
ワルシャワ市民は戦争で破壊されても、自分達の街を大変誇りに思っているんだなあと強く感じました。
アクセス:クラクフから電車


街のシンボル、人魚の像。


旧市街地広場 何故かもの悲しさを感じました。


2001年は暖冬でしたが、3月でもまだ雪が降っていました。


バルバカン


改めて平和を誓う場所
アウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所

★★★  2004年3月訪問
感想:
ニ度とこのような過ちは繰り返してはならないと、誓わなければならない場所。現在では、ドイツの学校などから来た生徒が、この施設の保全のためにボランティアを行っているそうです。訪れた時はまだ雪が残っており、殺風景な施設とのコントラストで、モノクロームの異様な光景が広がっていました。

アクセス:クラクフからバス

  
「働けば自由になれる」という看板(もちろんウソです)。         ビルケナウ


雪と強制収容所。まさに、モノクロームの世界。


絞首刑台


人間焼却炉


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