AOPY の世界遺産訪問報告
                                                          オーストリア旅行記(2)
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徴兵制とお母さん



  オーストリアはユーロ導入以前から比べると、随分物価が高くなったなあという印象が強いです。僕の友人達のほとんどが、シリングの方がよかったと言っています。まあ、自国の通貨に愛着があるのでしょうが・・・。スイスほどではないですが、オーストリアも田舎に行けば行くほど保守的です。拡大EUに懐疑的な人もいまだに多いです。かつてウィーンはヨーロッパの中心だったわけですが、そのことをいまだに誇りに思っている人たちも多いようです。僕達日本人から見ると、ドイツ人もオーストリア人も大差が無いように思えますが、意外とオーストリア人は他のヨーロッパの国々に対して、民族的にも文化的にも誇りが高いようです。

  大学時代の友人フェリクス君は、故郷であるクーフシュタイン郊外にあるティエーゼ村に帰って、お父さんの経営するレストランで働いています。今回、久々に会いに行きました。ウィーンから電車で3時間、クーフシュタインの駅に到着するとお母さんのガブリエーレさんがホームまでわざわざ迎えに来て下さいました。フェリクス君は今仕事中とのこと。今回初めてお母さんにお会いしたのですが、身長180cmぐらいあろうかという、いかにも「ゲルマン人の母」といった力強い風貌です。僕が挨拶しながら握手を求めると、「あらー、日本人も握手するの?」と意外な表情で笑っていました。彼女は日本人、いや東洋人と接するのは今回が初めてだそうで、日本人がよくやる握手をしながらお辞儀をするしぐさを僕もよくやるのですが、これをとても気に入った様子でした。とりあえずクーフシュタインの街を案内して頂きました。この街には世界最大のパイプオルガンがあり、正午と午後6時にその演奏が行われ、壮麗な音楽が街に鳴り渡ります。周囲を山に囲まれていますので、より一層こだまのように反響します。ティエーゼ村はここからドイツ国境方面へ車で15分ほどの小さな村ですが、周囲を山に囲まれ、村の中心には小さな湖がありとても美しい場所です。ウィーンの喧騒から逃れるのには最適ではないでしょうか。彼女の家のバルコニーからはその湖や雄大な山々が見渡せ、まるでリゾートホテルのようでした。彼女の話によると、かつてEU以前は犬の散歩に行くのにパスポートを持って行っていたそうです。自宅の裏手の山道に入ると、知らないうちにドイツ国境を越えてしまうことがあるからです。

  次の日、彼女はウェルグルやラッテンベルク、イェンバッハといったチロルの小さな町々を車で案内して下さいました。オーストリア人はハンドルを握ると人格が変わると言われますが、彼女の運転もかなり攻撃的で、のろのろ運転のドイツ・ナンバーを見ると、「German people!」と叫びながら凄いスピードで追い越していきます。どうでもいいですけど、ちょっと接近しすぎじゃないですか?テール・トゥー・ノーズ・・・。オーストリア人はよくドイツ人を田舎者とバカにしますが、そもそもドイツ帝国成立の中心となったプロイセンはヨーロッパの辺境の地、ケーニヒスべルク(中世のドイツ騎士団領、現在のカリーニングラード)が発祥で、オーストリアから見るととんでもない田舎者という偏見が、オーストリアの特に地方の保守層にはいまだにあるそうです。ただしご近所のバイエルンに関してはハプスブルク家とも親戚関係にあり、ドイツ帝国議会に議員を送っていただけで、ホーエンツォレルン家に統治された歴史はないため、一目置いているそうですが・・・。

  日本では自分の子供を人前でほめたりはしませんが、欧米ではよくほめます。ガブリエーレさんもニ人の息子が可愛いくてしょうがないといった感じです。ガブリエーレさんのもう一人の息子さんアーベル君もウィーン大学の学生ですが、現在徴兵制で軍隊に所属しています。オーストリアは日本と同じ敗戦国ですが、中立国としての地位を保つため自前の軍隊を持っています。また、ドイツも同じく軍隊を持ち、オーストリア同様徴兵制を布いています。 オーストリアでは学生の場合、社会奉仕か兵役のどちらかを選択できるそうですが、彼はあえて兵役を選びました。ご両親、特にガブリエーレさんは母親として反対したそうですが、本人の崇高な意志に動かされ最後には賛同したそうです。彼女は僕に、「あなたも兵役の経験があるの?」と聞くので、「ありません。日本にはそもそも軍隊がないんです。」、「じゃあ、敵が攻めてきたらどうするの?」。ヨーロッパの歴史は戦争の歴史。当然の質問です。すかさずフェリクス君が笑いながら電話をかけるまねをして、「call America」。う〜ん、これにはちょっと複雑な思いがしましたが、「軍隊ではなく自衛隊というexclusive self-defenseのためのものはあります。日本の憲法には国際間の紛争の解決の手段としての戦争と武力を永久に放棄するという条文があるんです。」。「それが一番だわ。」と、ガブリエーレさんは強く誇り高きゲルマンの女性ではありますが、その一方で一人の母親としての側面を垣間見せたのでありました。国家・民族の誇りと、母親の子への愛情。文化・歴史が異なっていても、どこの国でも同じ葛藤を抱えているのです。
                          ティエーゼの村にて(2003年3月10日)


チロル地方の玄関口、クーフシュタイン


クーフシュタインの街角で・・・。


ティエーゼ村。この地方の3月はまだまだ冬といった感じです。


フェリクス君のお父さんが経営するレストラン。


ガブリエーレさんと近所に住むお医者さんの息子ペーター君。


ラッテンベルグの町。人口が600人なのに「市」です。


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