AOPY の世界遺産訪問報告
 

















概要:
17世紀、ルイ14世に仕えた技術将校セバスティアン・ル・プレストル・ド・ヴォーバン(1633~1707)が設計・建設した要塞群。近代的な稜堡式の要塞
の築城法を体系化した。世界遺産登録物件はブザンソン、アラス、ヴィルフランシュ=ド=コンフラン、サン=ヴァースト=ラ=ウーグなどフランス全土に12箇所。


































































































概要:
18世紀後半、国庫の収入源の重要な産業であった製塩(煎熬塩)の施設跡。アル・ケ・スナンはフランス中東部、フランシュ=コンテ地域圏の小さな町で王立の製塩所が残っている。製塩所のみならず、一つの産業都市計画の要素も持ち合わせている。設計はクロード=ニコラ・ルドゥーによるものだが、未完成に終わっている。現在では製塩所、作業員の宿泊施設、製塩所所長邸などが残っている。2009年にはサラン・レ・バン大製塩所が追加登録された。













































































































概要:
フランス中部、ブルゴーニュ地方モントバールの山麓にある修道院で、1118年クレルヴォーの聖ベルナルドゥスによって建立された。18世紀後半、フランス革命中には個人に売却され約100年間は製紙工場として活用されたが、その後転売が繰り返され、現在も個人の所有物となっている。シトー会はベネディクト会から派生したカトリックであるが、厳格な戒律と質素、勤勉、農作業などの労働を重んじることを特徴とする。フランス国内最古のシトー会修道院である。





































































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 (8)

17世紀の防衛システム
ヴォーバンの要塞群
★★★  2014年4月訪問
感想:
この物件は単体ではなくフランス各地に12箇所あります。それらの分布図を見てみますとちょうど現在のフランス全土の国境線付近に程よく配置されているといった感じになっています。それらの要塞の中でもっとも大きく特徴が顕著にわかるのがこのブザンソンにある要塞です。ブザンソンの旧市街に小高い山があり、その山の斜面をうまく利用して城壁が築かれており、山頂に兵士の宿舎や城壁などが建てられてありました。その山頂の要塞の城壁からは、ブザンソンの市街だけでなく、周辺の景観を見渡すことができ、非常に美しい風景を堪能することができます。この物件は周辺の景観との共生も選定理由の一つとなっているそうで、それもなるほどと言えます。また後世の人が改築や改良といった手をかけておらず、ヴォーバン時代の状態がほぼ完全に残っているそうです。山頂の敷地はかなり広く、現在では当時の武器などの博物館もあったり、動物園みたいな施設もありました。そのためか、僕が訪れたときは大勢の小学生が遠足に来ていました。日本の五稜郭にも影響を与えたヴォーバンの要塞のほぼ全容を見ることができますので、軍事ファンにとっては非常に興味深い物件ではないでしょうか。その土地土地で地形に合わせた要塞の築城方法を比較できますので、マニアックな方は各地の要塞を比較されてみても面白いと思います。
※この旅の詳細につきましては、旅の随筆、「フランス北半分を走る!【6】」で。こちら
アクセス:ストラスブールからレンタカー


山頂に要塞が見えてきました。

  
要塞を取り囲むお濠の跡。                       入り口の門をくぐって要塞構内へ。

  
要塞内は様々な施設がありました。                ヴォーバンがお出迎え。カクイイ!(・∀・)


崖をうまく利用した城壁。


城壁は歩けるようになっています。


結構高くて怖い・・・。


城壁から見渡す周辺の風景も大変素晴らしいです。


未完に終わった18世紀の産業理想都市計画
サラン・レ・バン大製塩所から
アル・ケ・スナン王立製塩所までの天日塩生産所

★★  2014年4月訪問
感想:
ブザンソンからディジョン方面に進むにつれ、比較的高い山々が続き、平坦な北部からやってくると、また違った美しい風景が展開されています。この地域は岩塩の産地であるとともに、豊富な森林資源に恵まれ、18世紀当時製塩の時に欠かせない薪が容易に入手できたというのもこの地に大規模な製塩所が存在できた一つの理由です。なにしろ当時塩は重要な国庫資源であり、国家の根幹をなす重要産業でしたので、大掛かりな国家プロジェクトとして大変な労力とお金をつぎ込んで製塩所を建設したと思われます。アル・ケ・スナンの製塩所跡は半円形の形をした敷地内に製塩所や、宿舎などが整然と並んでいました。その多くは現在では博物館として使用され、実際に使用されていた製塩に関する道具や、当時の資料など豊富に展示されていました。また、製塩所だけではなく、当時の一つの理想的な産業都市計画として重要な文化遺産となっています。当初は製塩所を中心とした円形状の都市が計画されていましたが、未完成に終わり半円形の形をしています。入り口を入って施設をぐるっと周って帰るころには、18世紀のフランスのみならず、ヨーロッパの製塩産業の実態をかなり深く学ぶことができたと実感できるのではないでしょうか。
※この旅の詳細につきましては、旅の随筆、「フランス北半分を走る!【6】」で。こちら
アクセス:ブザンソンからレンタカー


アル・ケ・スナンの王立製塩所跡。


敷地の入り口部分。岩塩採掘現場をモチーフとしているのでしょうか?


入り口を入ると半円形に各施設が並んでいました。


こちらは製塩所所長のおうち。塩の結晶をモチーフとしているのでしょうか?


博物館内にあるアル・ケ・スナン王立製塩所跡の俯瞰写真。

  
当初はこのような円形状の都市を計画していました。      設計者クロード・ニコラ=ルドゥー。


各施設の概要を模型を使って解りやすく解説していました。


森の中に静かに佇む孤高の修道院

フォントネーのシトー会修道院

★★★  2014年4月訪問

感想:
モントバールの町を抜け、細い山道を上がっていくと、次第に民家もなくなり、美しい山麓へと誘われます。静寂に包まれた森の中にフォントネー修道院はありました。車を降り立った時、草の香りがしました。シトー会といえば非常に戒律が厳しく、質素倹約を旨としているためか、このフォントネー修道院も一切の装飾を排し、非常にシンプルで素朴な印象を受けます。僕たちがよく見慣れている、例えばクリュニー修道院のような華美な装飾を施したタイプとは一線を画しています。それだけに非常に厳しい修道士たちの生活が今も偲ばれます。また、鍛冶場が併設され、当時製鉄が行われていた様子がよく分かるように、模型などを使って解説がなされていました。現在は個人の所有物となっていますので、見学できない部分もかなりありましたが、シトー会の重要な修道院を訪れることによって、厳かな修道士たちの生活の様子を垣間見ることができ、非常に貴重な時間を過ごすことができました。
※この旅の詳細につきましては、旅の随筆、「フランス北半分を走る!【8】」で。こちら
アクセス:ディジョンからレンタカー


フォントネーのシトー会修道院構内。


いつものように世界遺産であることを確認。


回廊部分。

  
参事会室内部。天井部分を支える梁。                修道院内にある教会。中央は聖母子像。

  
修道院裏手部分。                           修道院の寝室。


修道院内にある鉄を作っていた鍛冶場。


水車の動力を利用していました。


鍛冶場の部屋の外には水車があり今も動いていました。


静寂に包まれた修道院内。


中庭部分。


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