AOPY の世界遺産訪問報告
 
















概要:
フランス北部、ノルマンディー地方のサン・マロ湾に浮かぶ小島に立つ修道院と門前町。西暦708年、アヴランシュ司教、オベールが夢のなかで大天使ミカエルから「この岩山に聖堂を建てよ」とのお告げを受けたことによってこの地に礼拝堂の建設が始まった。966年、ノルマンディー公リシャール1世により修道院が建てられ、その後増改築がなされ、現在の姿は13世紀に完成したものである。2005年には周辺の自然環境とかつての景観を取り戻すために大規模な改修工事が始まり、2012年4月末には島へのアクセス方法が大幅に変更になった。この大規模再生工事は2015年に完成する予定である。なお、別の世界遺産、「フランスのサンティアゴ=デ=コンポステーラの巡礼路」と二重登録されている。




























































































































































概要:
フランス北部、ノルマンディー地方の港湾都市、ル・アーヴルの中心街。第二次世界大戦で廃墟となった地域を、1945年から1964年にかけて建築家・オーギュスト・ペレ(1874~1954)のデザインを基に再開発された。また、ル・アーヴルは印象派絵画が生まれた街としても有名。




































































































概要:
パリの北100kmに位置するピカルディー地方の中心都市、アミアンの街にあるノートルダム大聖堂。1220年着工、1288年竣工。全長145m、身廊幅14.6m、身廊のヴォールトの高さ42.3m、建造物の空間20万立方mのフランス国内最大のゴシック建築で、ヨーロッパ内だと3番目に大きい。また、別の世界遺産「フランスのサンテイアゴ=デ=コンポステーラの巡礼路」に二重登録されている。


















































































































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自然と共存した持続可能な再生プロジェクト
モン・サン=ミッシェルとその潟
★★  2014年4月訪問
感想:
モン・サン=ミッシェルがあるサン=マロ湾はヨーロッパでもっとも潮の満ち引きの差が激しく、その昔この島に渡る多くの巡礼者が波にのまれ命を落としたそうです。1879年に陸地とこのモン・サン=ミッシェルを結ぶ堤防道路が建設され、巡礼者は安全に渡ることができるようになりました。2005年までこの堤防道路は使用され、これまで多くの観光客が利用してきました。しかし、この堤防が建設されてから100年の間に、潮の流れをせき止め、大量の土砂が堆積してしまい、このままでは島と陸地が完全に繋がってしまうことになりかねませんでした。そこでこの堤防を撤去し、潮の流れを止めることのないように橋を架ける大規模工事が2005年から始まりました。そんなわけで、かつての景観を取り戻し、自然との共生を目指した持続可能な再生事業として、10年の歳月をかけた壮大な国家プロジェクトが現在行われているというわけです。僕が訪問した2014年4月の時点では、ビジター・センターと広大な駐車場、巨大なショッピング・センター及び、クエノン川の河口ダムはすでに完成されており、島への無料バスも常時運行されていました。肝心の橋ですが、大まかのところは大体できていましたが、残るかつての堤防道路と周りに堆積した土砂はまだ存在し、堤防の手前でバスを降りて、あとはその堤防道路を歩いてモン・サン=ミッシェルへアクセスするという格好となっていました。現在、大規模な工事をしていますので、当然景観はよくありませんが、それも致し方ないことでしょう。2015年に完成とのことですが、実際に見た感じではもっと多くの年月がかかるのではないかと思いました。いずれにいたしましてもこのモン・サン=ミッシェルはこの国最大の観光地であり、観光大国・フランスの威信をかけた並々ならぬ意気込みが感じられました。以前のモン・サン=ミッシェルは堤防道路の脇が駐車場となっていましたので、あれがなくなっただけでも非常にいいことだと思いますが、橋が完成され、堤防と土砂が完全に除去されれば、本来の美しいモン・サン=ミッシェルの姿が甦ることでしょう。
※モン・サン=ミッシェルの詳細につきましては、旅の随筆、「フランス北半分を走る!【14】」で。
こちら
アクセス:シャルトルからフージェール経由でレンタカー


クエノン川河口からモン・サン=ミッシェルを望む。

  
入り口付近から修道院付属教会を仰ぎ見る。         城門をくぐってモン・サン=ミッシェル内部へ。

  
城門を入るとお土産屋さんとレストランがずらりと並んでいました。日本語の看板もちらほら・・・。

  
城壁は歩けるようになっており、海を見晴らせるようになっています。 中世の木組の家々。

  
岩山の頂上に修道院の付属教会があります。           西側テラスから教会の尖塔を望む。


教会の内部。太陽の光を浴びて黄金色に染まってきました。


ラ・メルヴェイユ(驚異)の最上階にある回廊(13世紀建造)。


教会内部の円柱。

  
中腹にあるサン=ピエール教会の祭壇。              この方がお告げの主、大天使ミカエル。


堤防工事の様子。修道院付属教会からの眺め。完成までにはまだかなりかかりそうですが・・・。


夜はライトアップされています。


夕日に浮かび上がるモン・サン=ミッシェルのシルエット。


戦争の廃墟からの復興都市計画
オーギュスト・ペレによって再建された都市ル・アーヴル

  2014年4月訪問
感想:
日本の戦後の復興期において、多くの都市が全く新しく機能的な街に作り変えられましたが、その結果、どこの駅を降りても同じ街並みになってしまい、全くその土地土地の風情というものが失われてしまいました。それに対して、戦争などで廃墟となったヨーロッパの街づくりの特徴は、元の古い街並みを再現する場合が多く、この辺が日本とヨーロッパの街づくりの決定的な違いとなっているようです。しかしながらこのル・アーヴルの再建都市はヨーロッパでは珍しく全く新しい街並みに作り変えられていますので、他のヨーロッパの歴史的な都市から来ると非常に違和感を覚えてしまいます。建築家オーギュスト・ペレによってデザインされたそうですが、薄いベージュ色の無味乾燥な箱型のアパートが整然と並び、街自体も非常に味気ない表情になっています。新しく機能美を追求した街は斬新なデザインで、どこか近未来的な都市が多く、住みやすさの面からも支持される場合が多いですが、このル・アーヴルの街はそういった印象は全くなく、住みたいとは全く思えません。一歩間違えると旧共産圏によくあるような街並みです。2005年の世界遺産選定当初から観光客を見込んで建設されたホテルやレストランはすでに廃墟となり、通りにはゴミが散乱して、この世の終わりのような風景が展開されていました。ゴミが散乱しているのは海外の街では普通ですが、このような整然とした近代的な街ですと、より悲愴感が演出されていました。夕食をとろうにもまともなレストランもなく、カルフール・シティで食べ物を仕入れる有様。近年における復興都市計画の最高の成功例は、日本の神戸市だと言われていますが、阪神大震災の後に短期間で奇跡的に復興した神戸の街は、現在では「世界で最も住みやすい街」で第5位にランクされ(スイスECAインターナショナル調べ。フォーブスでは第25位。)、アジアではシンガポールに次いで第2位となっています。ユネスコのデザイン都市にも指定されていますので、復興都市としては神戸の方が世界遺産にふさわしいのではないでしょうか?
※ル・アーヴルの世界遺産地域の詳細につきましては、旅の随筆、「フランス北半分を走る!【15】」で。こちら
アクセス:モン・サン=ミッシェルからカン経由でレンタカー


雨のル・アーヴル世界遺産指定地域。ん~、ど~でしょうか??

  
中央のビルが巨大な門に見立てた、ポルト・オセアン。


ビルの間からイギリス海峡が見えます。凱旋門って感じでしょうか?

  
このようなアパートが整然と並んでいました。路上駐車だらけ。 モネの「印象、日の出」の製作現場。

    
サン=ジョセフ教会(1956年完成)。        教会内部のステンドグラス。


フランス最大のゴシック建築

アミアン大聖堂

★★★  2014年4月訪問

感想:
このアミアンのノートルダム大聖堂はフランス最大、ヨーロッパでも3番目に大きいということで、街の人々にとりましても大変な誇りとなっています。大聖堂の前にあるホテルに宿泊しましたが、レセプションのおねぇさんも頼みもしないのに、このノートルダム大聖堂の説明をとても流暢な英語で延々と始めました。大体、ガイドブックに載っていることの繰り返しだったのですが、熱心に聞かないと悪い気がして、いちいち頷きながら、途中で「へ~」とか、「ほんと!」、「すごいね!」とかわざとらしい相槌を入れながら聞いているふりをしました。やはり最後には「ここの大聖堂はフランスで一番大きいのよ!」が来ます。もう2万回ぐらい聞いたり読んだりしていますが、ここはオトナの礼儀として、「えっ!そうなんですか!!それはすごいですね!!」を言います。会話が長時間に及びますと、かなりの演技力と忍耐が必要となりますが、うっかり、「じゃあ、ぜひ見に行きます!」な~んて言ってしまったら、今まで適当に相槌を打っていたことがバレます。バカでかいスーツケースをゴロゴロ引きずったどう見てもただの観光客が、ご丁寧に大聖堂の真ん前にホテルをとって、大聖堂以外見るところもないこの街で、「いったい他にこの街に何の用があるのか?」とこの誇り高きおねぇさんに悟られたら、今までいい人ぶっていた苦労が水泡に帰してしまいます。ここは細心の注意を払って、「素晴らしいですね。このアミアン大聖堂は日本でも非常に有名で、僕もこの大聖堂を一目見るためにはるばるやって来たんです。」と笑顔で答えられれば合格です。もちろん単なるお世辞なのですが、この誇り高きおフランスのおねぇさんのプライドをちょっとくすぐってあげるのも、一つの旅の礼儀なのではないでしょうか。
※アミアン大聖堂・内部の詳細につきましては、旅の随筆、「フランス北半分を走る!【18】」で。
こちら
アクセス:ル・アーヴルからルーアン経由でレンタカー

  
アミアン大聖堂、西側ファサード見上げ。中央扉上のティンパヌムは「最後の審判」を主題とし、
ヴシュール部分には天使の彫刻が施されています(1220~1235年)。

    
夕日を浴びて黄金色に変化し始めました。    夜のライトアップ。

  
東側アプス。7つの放射状祭室を持ち、中央祭室が突出。   南側袖廊部分。


サン・ルー地区からアミアン大聖堂北側を望む。

  
西側ファサードのバラ窓と「諸王のギャラリー」。       北翼。アーケード部分が高く垂直性を強調。

    
主廊より西側バラ窓方向を望む。         南翼。トリフォリウムがステンドグラスとなっています。

    
バラ窓(16世紀)とパイプ・オルガン。        「洗礼者ヨハネの処刑」。

  
南側の内陣障壁彫刻、「聖フィルマンの生涯」(16世紀)。    「聖フィルマンの処刑」。

    
祭壇後陣部分の側廊にずらりと設置されたステンドグラスは圧巻です。

    
後陣部分のステンドグラス。             紋章や城のデザイン。

    
強烈な朝日を受けるバラ窓。            燃えるような朝焼けが切り裂くようにステンドグラスへ。


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