(1)
中世の「教皇バビロン幽囚」の舞台
アヴィニョン歴史地区、
教皇庁宮殿、司教関連建造物群及びアヴィニョン橋 |
★★★ 2014年9月訪問
感想:
今年はフランス強化年間といたしまして、4月に北半分、9月に南半分を1か月づつ精力的に周りました。リュベロン山麓の村々を訪問したのち、車を西方面に走らせると次第に平地が広がり、静かに流れるローヌ川に行きつくと、いよいよアヴィニョンの街に入り、旧市街地を取り囲む城壁に行きつきます。城壁から顔をのぞかせる教皇庁宮殿やその関連建造物を発見するたびに、この街が中世の繁栄を謳歌した栄光の歴史を実感することができました。何しろこの街は14世紀に70年間にわたり、ローマに代わってカトリックの総本山が移設された場所で、「教皇のバビロン幽囚」として中世ヨーロッパ史における重要な歴史的都市として登場する場所なのです。教皇庁宮殿はフランス最大のゴシック宮殿ということで、想像していた以上に巨大で、ヴァチカンのサン=ピエトロ大聖堂にもひけを取らない威風堂々とした佇まいでした。宮殿内では写真撮影が禁止されてはいましたが、大広間、礼拝堂、内庭回廊、フレスコ画で飾られた教皇の私室など、当時の繁栄を実感できる貴重な遺産を見学できました。特におすすめの場所は、ローヌ川の中洲から対岸のアヴィニョン歴史地区を望むと、教皇庁宮殿やサン=ベネゼ橋が一望でき、特に夕方は西日を浴びて黄金色に輝いて見えます。豊かなローヌの流れに身を任せ、夕暮れ時のアヴィニョン歴史地区を眺めながら散策すると、中世へのロマンを感じずにはいられませんでした。
※フランス南半分の旅の様子は旅の随筆、「フランス南半分を走る! ニースからボルドーまで5000キロ、レンタカーの旅」で。
アクセス:エクス=アン=プロヴァンスからサロン=ド=プロヴァンス、リュベロン山麓経由でレンタカー
ローヌ川、アヴィニョン歴史地区、及びサン=ベネゼ橋(アヴィニョン橋)を望む。
夕日を浴びて黄金色に輝くアヴィニョン教皇庁宮殿。左はノートルダム・デ・ドン大聖堂。
教皇庁宮殿、ファサード部分。内部は撮影禁止です。 ノートルダム・デ・ドン大聖堂。
歴史地区を取り囲む城壁。
各要所に城門の入り口があります。
サン=ベネゼ橋。有名な童謡「輪になって踊れ」の舞台です。
ライトアップされた教皇庁宮殿。
深夜の旧市街を城壁に沿って徘徊・・・。
プロヴァンスの陽光を燦燦と浴びた「小さなローマ」
★★ 2014年9月訪問
感想:
プロヴァンス地方で最も有名な街と言えば、このアルルを挙げることができるのではないでしょうか。ローマ時代から「ガリアの小ローマ」と呼ばれ、この地方の首府が置かれフランスでもっとも早くから繁栄を謳歌していました。保存状態の良いローマ遺跡が点在する街を散策していますと、当時の人々の息吹までもが感じられます。これらの遺跡は2000年の時を経ても今なお使用され、闘牛祭や演劇祭、コンサートなど様々なイベントが催されています。また、この街を特徴づけているのはそれだけではなく、やはり燦燦と降り注ぐ南仏特有の太陽の光ではないでしょうか。アルルというとゴッホのあの強烈な色彩の絵画を思い出しますが、この強烈に照り付ける太陽の光を求めて、彼は1888年にこの地へ移り住み、「跳ね橋」や「ひまわり」など、斬新な色遣いを多用した画期的力作を生み出したのでした。実際に彼が印象派の代表格として才能を開花させたのはこのアルルの街にやって来きてからで、この街の日の光が天才的な芸術家に影響を与えたとも言えるのではないでしょうか。僕が訪問した時は週末とあって、大通りにたくさんの屋台が出て大変な賑わいでした。威勢のいい店のご主人と、愛想のいいおかみさん。旅人に対しても寛容でコスモポリタンなローマ人の気質は、今もなおしっかりと受け継がれていることを実感いたしました。
※フランス南半分の旅の様子は旅の随筆、「フランス南半分を走る! ニースからボルドーまで5000キロ、レンタカーの旅」で。
アクセス:アヴィニョンからレンタカー
円形闘技場。紀元1世紀末ごろ建造。 フランスで最大の闘技場。
古代劇場。紀元前1世紀建造。
観客席部分。
この古代劇場で発見された「アルルのヴィーナス像」はルーブル美術館所蔵。
サン=トロフィーム聖堂。11〜12世紀建造。 正面入り口。
サン=トロフィーム聖堂入口上にあるティンパヌム。
「最後の審判」を主題とし、中心にイエス、その周りに「黙示録」に登場する四つの獣が描かれています。
入り口の両脇にある十二使徒の彫刻。
ローマ人の高度な土木技術を証明する2千年前の水道橋
★★★ 2014年9月訪問
感想:
ガール橋が架かっている地区には意外と整備された駐車場や、入場口、レストラン、売店、橋の付近には古代ローマの博物館などがあり、僕が訪問した時はすでに午後5時ごろであったにもかかわらす、たくさんの見学客が訪れていました。この世界遺産がプロヴァンス地方の隠れた名所であることがわかります。ローマ時代の水道橋はヨーロッパや中東に数多く残っていますが、このガール橋は少なくとも僕が訪れたものの中では最大で、その巨大さに圧倒されました。実際にナポレオンやジャン=ジャック=ルソーなど、多くの歴史上の人物がこのガール橋の驚異的な大きさに感嘆た記録が残っており、ローマ人の偉大な建造物であることが実感できました。そればかりかこの巨大な水道橋はわずか5年で完成したという事実にも感嘆させられます。橋の一部を別の場所で組み立て、現地で組み上げていくといった手法で建設され、世界初のプレハブ工法で完成された建造物であると言われています。何と1つの重さが6トンもある石灰岩の切石が、4346個も寸分の狂いもなく組み合わされており、全長50kmの導水路に対して、水道全体の高低差は33m、1km当たりわずか66cmという緻密さです。近年修復され、現在でもニームの街に水を送り続けているのです。今更ながらのように、ローマ人の土木建築技術の高さに感動させられる物件ではないでしょうか。
※フランス南半分の旅の様子は旅の随筆、「フランス南半分を走る! ニースからボルドーまで5000キロ、レンタカーの旅」で。
アクセス:アルルからレンタカー
ガール橋。一見水平に見えますが、わずかに勾配が付けられ、最上層水路に水が流れていました。
かなり巨大であることがわかります。
橋のそばにあった洞窟。
ガール橋への入場門。入場料等はありませんでした。
ガール橋周辺の地図と案内図が設置されていました。
いつものように世界遺産であることを確認。
|