AOPY の世界遺産訪問報告
 
















概要:
イスラエルの実質上の首都テルアヴィヴにある白い現代建築群。1930年代に街が拡大する際に、ヨーロッパから帰ってきた建築家たちがバウハウスの要素を取り入れた建築物を多く建て、街を白色を基調としたインターナショナル・スタイルで統一した。
現在ではこの様式による建築物が4000軒以上存在している。テルアヴィヴとはヘブライ語で「春の丘」という意味である。



















































































概要:
イスラエル北部、ハイファの南側に広がるカルメル山で15万年前の初期人類の遺跡が数多く発見された。これは50万年前、人類がアフリカ大陸を出発し(出アフリカ)、世界各地に散らばっていった(グレイト・ジャーニー)初期の段階の遺跡であるとされている。















































































概要:
バハーイー教は19世紀にイランで興ったイスラム教から派生した新宗教。ハイファ市内に同宗教の前身であるハーブ教の創始者、ハーブの霊廟(1953年完成)とその庭園(2000年完成)がある。
また、アッコ郊外にハーブ後継者でバハーイー教の始祖バハーウッラーの霊廟と庭園などがある。






















































































































概要:
イスラエル北部、西ガラリア地方にある地中海に面した都市。1104年、聖地エルサレムの奪還を目的とする十字軍により占拠され、以降この地方におけるキリスト教徒の拠点となった。1192年、十字軍国家「エルサレム王国」の首都ととなる。1291年にマルムーク朝スルタン、アシュラフ・ハリールの軍によりアッコ陥落。以降約200年間マルムーク朝の支配下に入り十字軍は完全に失敗に終わった。







































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 (2)

シオニズムの希望を託した白亜の都市

テルアヴィヴのホワイト・シティー〜近代化運動

  2012年11月訪問

感想:
イスラエル政府はエルサレムが首都であると主張していますが、国際的には認められておらず、実質上の首都はこのテルアヴィヴです。日本大使館もテルアヴィヴにあります。また、イスラエル経済の中心でもあります。従いましてイスラム勢力からのテロ攻撃などの格好の標的になっています。日本にいますとそういった関係のニュースでよく聞く街ですが、このテルアヴィヴという街はとても不思議な街です。多くの中東の街とは異なった風情であり、長い歴史を持った他の中東の街から来ると、非常に違和感を覚えます。それもそのはず、テルアヴィヴは街ができてほんの100年ほどの新しい街なのです。もともとアラブ人の古い街であるヤッフォ郊外の何もない砂丘に、20世紀初頭シオニズムの希望の街として建設されたのでした。その特徴はディゼンゴフ広場を中心に、白色を基調とした建築で統一されていることです。まあ、世界遺産というほどでもありませんが、何でも人に優しい街づくり、未来への希望が持てる街づくりを目指しているそうです。小奇麗な集合住宅、コンビニ、よく整備された歩道、適度な街路樹等々、街を歩いていますとどこかで見たような既視感が・・・。そう、日本の地方都市とそっくりなのです。訪問したときはハマスからのミサイルが数発飛んできましたが、すぐさま迎撃ミサイルで撃ち落としてしまいました。その名も「アイアン・ドーム」。ある路地の突き当りに、白い大きな金庫のドアのようなものがあって、「SHELTER」と書いてあるのを見ましたが、あれは多分核シェルター?いやはや何とも、人が生活している街というよりも、何かの前線基地に人が住んでいるといった感じですね。そういうところはイスラエルらしいと言えば、イスラエルらしいですが・・・。
アクセス:ベエル・シェヴァからレンタカー


ディゼンゴフ広場に建つホテル・シネマ。白い建築の典型的な物件。


青空に白い壁がとても映えています。


携帯電話が嫌いなので、こういう糸電話は非常に好感が持てます。


フロッグ通り5番地にある集合住宅。


人が住んでいる普通の住宅街ですので、あまり写真を撮るのもどうかと・・・。


人類50万年の遥かなる旅路

カルメル山の人類進化の遺跡群:
ナハル・マーロット洞窟、ワディ・エル=ムガラ洞窟群
★★★  2012年11月訪問

感想:
約300万年前、アフリカ大陸東部で出現した人類は、50万年前、世界各地へ旅立って行きました。その人類が西アジアを通過した頃の遺跡がこの2つの洞窟というわけです。この物件は訪問した2012年に新たに世界遺産に登録されましたので、あまり情報がなく一体どの辺が世界遺産の対象となる場所なのか、ユネスコのホームページで確認してみたところ、ハイファの南13km、カルメル山の地中海側、4号線と721号線が交差したところ付近の山麓がバッファー・ゾーンとなっていました。ちょっとわかりにくいかもしれませんが、実際に訪れてみますと、立派なビジター・センターがありました。子供連れの人が結構多く、子供たちはみんな広場みたいなところで遊んでいました。顔の部分がくり抜いてある原始人の絵が書かれた看板があって、そこから顔を出して記念撮影する、日本でもよく観光地にあるようなものがありました。世界遺産に指定される前からちょっとしたレジャー施設だったみたいです。この物件の登録名だけを見ますと何だか堅苦しい感じがしますが、実際に訪れた感じでは、非常に親しみやすい雰囲気がしました。カルメル山麓にある各洞窟を周るトレッキング・コースになっており、ビジター・センターで入場料を払い、入口の扉を開けてもらうといった形になっていました。入口の扉の前に立って「ジー」という音がしたら、扉を押すといった感じです。僕はこの扉のを開けるタイミングが掴めず、あたふたしていると親切なスタッフの方がわざわざ来て説明してくれました。トレッキングコースは20分ぐらいであっという間に終わってしまいましたが、原始人の人形、発掘された人骨のレプリカ、詳しく解説された看板などで、解りやすく展示されていました。家族連れで手軽に楽しめて学べる遺跡見学&トレッキングといった感じでした。
アクセス:テルアヴィヴからレンタカー


カルメル山の洞窟トレッキング・コース。


トレッキング・コースからビジター・センターを望む。左下の白い屋根の建物が入口です。

  
こんな感じで原始人が生活していました。              ワディ・エル=ムガラ洞窟の発掘現場。

  
発掘された1万年以上前の埋葬された人骨のレプリカ。    洞窟内も見学できます。


美しい庭園に彩られたバハーイー教の聖地

ハイファ及び西ガラリヤ地方にあるバハーイー教の聖地群

★★  2012年11月訪問

感想:
世界遺産に登録されている宗教施設は非常に古く、長い歴史のあるものがほとんどですが、この物件は19世紀に興った新しい宗教の施設という点でとても珍しい物件です。施設自体も最近できたものです。イスラム教から派生したバハーイー教の聖地で、ハイファにハーブ教の創始者ハーブの霊廟と庭園が、アッコ郊外にハハーイー教の始祖バハーウッラーの霊廟と庭園があります。特にハイファの物件はハイファの街自体を特徴付けており、カルメル山の斜面に庭園が連なる光景は、非常に美しくユニークであります。山の上の入口からは、この庭園と霊廟がハイファの街と地中海とともに見渡せ、とても美しい絶景を眺めることができます。ハイファの物件は昼12時から無料のツアーがあり、構内を見学できますが、それ以外は入ることができず、外から庭園や霊廟を眺めるだけになっています。訪れた時は既に午後4時ぐらいでしたので入ることはできませんでしたが、上から眺めただけでも素晴らしい絶景が堪能できました。アッコ郊外の物件は朝10時頃庭園を訪れた時、たまたま霊廟の前に5〜6人の見学者が集まっていましたので行ってみると、どうやら霊廟の中へのツアーでした。ツアーと言っても霊廟の玄関みたいな15畳ほどの小さな部屋に入って10分ぐらいかけてゆっくり部屋を一周するだけですが、案内の信者のお姉さんは全くの無言・・・。終始笑顔なのですが、説明等は全く無し。参加した人々も無言・・・。ただただ静寂・・・。歩くのも抜き足、差し足、忍び足といった感じでした。もちろん、写真撮影は厳禁。この宗教のことはよく知りませんが、何とも不思議な体験をさせていただきました。どちらの物件もセキュリティーは非常に厳重ですが、警備の方にちゃんと挨拶や礼を尽くすと、とてもフレンドリーで親切でした。帰り際にはお礼の言葉を忘れずに。
アクセス:ハイファはカルメル山から、アッコ郊外はアッコ旧市街地からレンタカー

  
上の入口から庭園、ハーブ廟、ハイファ市街、そして地中海を望む。 ハーブの霊廟。


ハイファの街に到着すると、山の斜面に霊廟と庭園がありました。


アッコ郊外のバハーイー教の庭園入口。


この奥にある建物が見学したバハーウッラーの霊廟がある建物です。


八芒星の形をした花壇が多く見受けられました。


本当に美しい庭園でした。


セキュリティーはかなり厳重でしたが、警備の方々はいたって笑顔で親切でした。


中世十字軍最後の砦

アッコ旧市街

★★★★  2012年11月訪問
感想:
イスラエルの街と言いますと、エルサレムやテルアヴィヴなど非常にハードボイルドなイメージがあるのですが、この街はいたって平和でとても風光明媚なのんびりとした雰囲気が漂っていました。イスラエルにもこんな街があるのかと、ちょっと意外な感じがした程です。この街は世界史ではアッコンという名前で、中世の十字軍の壮絶な戦いが繰り広げられ、十字軍最後の都市として登場します。そんな歴史も今は昔、ヨーロッパの海辺の街によくある、海に突き出た小さな旧市街地、と言った僕の好きな街の典型的なタイプです。街の人々も非常におおらかで明るく、ホテルのオーナーも漁師のおじさんといった感じで、話をする度に意味もなくガハハハと大声で笑っていました。スークの人に道を尋ねたり、ATMの場所を尋ねるとたどたどしい英語で懇切丁寧に一生懸命に教えてくれました。旧市街地の人々を観察しますとテルアヴィヴやハイファでよく見かける白人のユダヤ人とは違い、明らかにスファラディーのユダヤ人か、またはアラブ系の人がほとんどでした。教会とモスクが隣り合わせに建っていたり、十字軍の史跡とハンマームがすぐそばにあったりと、人種、文化や宗教が違っていても、街の人々は共に仲良く生活している雰囲気がとても気に入りました。緊張の連続であるイスラエル、パレスチナの旅の途中、ひと時の安らぎを覚えた街でした。
アクセス:ハイファからレンタカー


マリーナからアッコ旧市街を望む。モスクと教会が仲良く並んでいました。

  
歴史を感じさせる町並み。                        地中海を望む聖ヨハネ教会。


十字軍の町の入口を入ったところ。


騎士のホール。ここにかつてヨハネ騎士団の本部がありました。

  
ハンマーム。現在では市立博物館になっており、ちょっとしたアトラクションが楽しめました。

  
いつものように夜の町を徘徊・・・。迷路のような小径は所々で行き止まりになっていました。


石造りの民家とフランシスコ派修道院の尖塔。


天然の良港で、町にはシーフードのお店が多くありました。


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