AOPY の世界遺産訪問報告
 

















概要:
ロンバルディア州、アッダ川とブレンブロ川が合流する三角州にある小さな町。綿織物工場の経営者のクレスピ家が1878年に建設した工場と、そこで働く労働者のための居住施設である。工場で働く従業員とその家族に住居、学校、病院、レジャー施設、公衆浴場など、生活に必要なものすべてを無料で提供した。この啓蒙的、温情主義的な自給自足システムは1920年代末で終焉し、現在、工場は稼働していない。









































































































































































































































概要:
西ローマ帝国が滅亡した約100年後、イタリア半島を支配したランゴバルド族の遺産。世界遺産名に入っている年号、568〜774年はランゴバルド王国が存続した期間である。世界遺産登録物件はロンバルディア州を中心にフリウーリ、ブレシア、スポレートなど、イタリア国内に7カ所ある。
ローマ、ビザンチン、ゲルマンなど様々な文化を取り入れ、初期キリスト教を融合させた貴重な遺産が残っている。建築様式など、古代から中世へ変遷するヨーロッパ文化をよく伝えている。













































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19世紀の労働者たちのユートピア
クレスピ・ダッダ

  2015年4月訪問
感想:
トリノを出発した後、ミラノで2連泊してフェッラーラに向かう途中、世界遺産が3件あったので立ち寄ってみました。そのひとつがこの「クレスピ・ダッダ」です。ミラノから車で30分程と近く、この物件自体もいつもオープンなので気軽に訪れることができるのではないでしょうか。工場自体は2003年に完全に停止し、現在では工場村としての機能はありませんが、ただし、居住地区には現在でも子孫の方々が実際に住んでいらっしゃるので、訪問時はそれなりのマナーが必要だと思います。朝8時半ごろ到着した時は、通りには誰もおらずひっそりと静まり返っていました。町の外観自体は特にこれと言って何もありません。母と姉も何でわざわざこんなところに来たのか、不思議に思っていたようですが、それも無理はありません。それよりもこの町の運営システムが世界遺産として評価されたようです。クレスピ・ダッダは綿織物工場の経営者がその従業員のために、住居や学校、病院、レジャー施設に至るまで、生活するのに必要なすべてを無料で提供していたいわば理想郷のような共同体だったのです。聞くところによると、従業員の子供が使うペンまで無料提供されていたそうです。今から100年以上も前に、現在よりももっと進んだ社会福祉制度が、この小さな町で行われていたわけです。19世紀後半にはこのようなコミュニティーがヨーロッパにいくつか出現したそうですが、このクレスピ・ダッダが最も顕著な例で、町自体の保存状態も良く、世界遺産に登録されたとのことです。資本主義と社会主義を純粋に融合させた自給自足コミュニティーの理想像を追求した、壮大な実験だったと言えるのではないでしょうか。しかしながらその理想的な社会システムも長くは続きませんでした。世界大恐慌の影響か、1920年代末には終わりを告げ、以後このようなシステムの共同体は姿を消していきました。ひっそりと静まり返った廃墟のようなクレスピ・ダッダを歩きながら、この小宇宙でそのような独自の営みが行われていたことを考えていると、今ではそれらがまるで儚い夢物語であったかのような雰囲気に包まれました。
アクセス:ミラノからレンタカー


クレスピ・ダッダでひときわ目立つ工場の煙突とオフィス。

  
工場のオフィス。

  
綿織物工場。現在では稼働していません。


従業員に提供された住宅。

  
工場に向かうメイン・ストリート。                          


煙突はどこからでもよく見えます。


従業員の住宅街。

 
敷地内には学校、病院、教会、娯楽施設、洗濯場まで整っています。


現在も住んでいる方がいらっしゃいますので、ご配慮を。


とてもカラフルな壁です。


教会のドームが見えて来ました。

  
ブラマンテの建築を模倣したといわれる教会。           教会の正面部分。


高台にあるのは幹部のおうちでしょうか?


教会から工場方向を望む。

  
この辺りに当時のホテルがあったそうです。


工場の経営者、クレスピが居住していた城。


ヨーロッパ中世社会の基礎を築いたランゴバルド族の遺産

イタリアのランゴバルド族:権勢の足跡(568〜774年)

★★★   2015年4月訪問
感想:
クレスピ・ダッダを見学した後は、高速道路に乗り一路ブレシアへ。この世界遺産はイタリアに7カ所もあるので、すべては訪問できませんので、ブレシアにある物件を訪問しました。ブレシアの世界遺産物件は、ランゴバルド族の教会と修道院の建築様式を伝えるものとして登録されたそうです。ランゴバルドはここロンバルディア地方の語源となっています。ランゴバルト族ってゲルマン系ですので、イタリアで金髪で青い目の方は、だいたいこの民族の子孫の方ではないでしょうか。そう言えば今回訪れる予定のフェッラーラのエステ家も、ランゴバルト族の末裔でしたね。10時過ぎに市内にある「サンタ・ジュリア博物館」に到着。この博物館には世界遺産に登録されているサン・サルヴァトーレ教会、サンタ・マリア・イン・ソライオ教会、サンタ・ジュリア修道院があります。ただし、これらの各建物は、長い年月の間修復改装工事を繰り返しており、内部でも各建物がつながっていて、広大な敷地の中でかなり複雑な構造になっていましたので、どこからどこまでがどの建物なのか最後まで正確には把握できませんでした。サンタ・ジュリア修道院自体が博物館になっているのか?これらの建物をまとめてひとつの博物館なのか?博物館の名前自体も、「ブレシア市立博物館」と言ってみたり・・・。でも確かに入口には「サンタ・ジュリア博物館」の表示が世界遺産のマークとともにありました。肝心の世界遺産登録物件は「
サン・サルヴァトーレとサンタ・ジュリアの修道院建造物群を含む記念建造物地域」とありますので、とりあえずOKです。まあ、そんなことはともかく、中世初期時代にイタリアを支配した、ランゴバルド王国の秘宝があると聞いてとても楽しみにしていました。彫刻、絵画、レリーフなど数多くの遺産が展示されていましたが、中でも面白かったのは、当時のランゴバルド族の衣装を再現したコーナーでした。生地の編み方や、コーディネートなど、当時の彼らのファッションを見学できたのはとても身近な感じがしました。道具や小物なども可愛らしいものが多く、とても興味をそそられました。さて、ここでの最大の見どころは、12世紀に建てられたロマネスク様式のサンタ・マリア・イン・ソライオ教会の中にある、「デジデリオ王の十字架」です。デジデリオ王(在位757〜774年)はランゴバルト王国最後の王で、即位前の753年にサン・サルヴァトーレ教会を建設した人物です。薄暗い礼拝堂内で、宝石をちりばめた十字架が闇の中に浮かんでいるようでした。星空をあしらったドームの下で、十字架の放つ光はとても神秘的でした。この十字架を見るだけでもここに来る価値があると思ったほどです。今でも謎が多く、古代から中世への橋渡しの役割を担い、ヨーロッパ中世の礎を築いたランゴバルド族の感性に触れることができ、とても貴重な時間を過ごすことができました。
アクセス:ミラノからクレスピ・ダッダ経由でレンタカー


サン・サルヴァトーレ教会が見えて来ました。
  
サンタ・ジュリア博物館の入り口前には、世界遺産を示す表示がありました。


サン・サルヴァトーレ教会。現在の建物は創建当時のものではなく、9世紀のもの。


回廊部分。

  
サンタ・ジュリア博物館の地下にあるローマ・モザイク。     1世紀の「翼をもつ勝利の女神」


これはハーケンクロイツ?ゲルマン民族だから?あれ、反対か?まんじ?

  
大理石に刻まれたレリーフも数多くありました。          レリーフ。

  
こちらはランゴバルド族の服飾関係のコーナー。とても興味深いです。

    
とても着心地が良さそう。身に着けているポシェットのような小物入れも素敵ですね。

  
生地の織り方のパターン。                       生地を作る様子を写真で説明。

  
金で作られた小さな十字架のアクセサリー。

  
ランゴバルド族の文字でしょうか?                  黄金のトサカを持つ鶏。

  
13世紀のフレスコ画、「二人の僧侶」。             14世紀のフレスコ画、「聖ペテロと聖パウロ」。


15世紀前半のフレスコ画、「栄光の聖マリア」。楽器を奏でる子供が描かれています。

   壁や天井に施されたフレスコ画。イエス=キリストの生涯が描かれています。

  
天井の装飾も見事でした。                       十字架を背負うイエス。

  
教えを説くイエス。                            民衆から祝福を受けるイエス。

  
フレスコ画は16世紀前半ものです。                 最後の晩餐の様子。


地下へとつながる身廊。とても複雑な構造でした。


教会内部のいたる所に、フレスコ画が描かれていました。


地下にも入れるようになっていました。

  
サンタ・マリア・イン・ソライオ教会内部。              「デジデリオ王の十字架」。

  
星空をイメージした天井。                       神秘的な光を放つ十字架。

  
「デジデリオ王の十字架」のある薄暗い礼拝堂内の壁にも、一面フレスコ画が描かれていました。



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