AOPY の世界遺産訪問報告
 
















概要:
ヨルダン西部、マダバの南東30kmにある廃墟の古代遺跡。ローマ帝国占領時代は軍の基地が置かれ、3世紀〜9世紀頃都市が形成されていたと考えられている。8世紀建造の聖ステファン教会の床面にはマダバ、ガザなどの街の様子を描いたモザイク画が残っている。ウマイア朝時代はカストロン=メファと呼ばれた。現在、発掘はほとんど行われていない




























































































概要:
ヨルダン南部の砂漠地帯に広がる景勝地。険しい岩山や絶壁、深い渓谷がおりなす過酷で美しい自然が広がっている。長い間、砂漠の民・ベドウィンの暮らしがあり厳しい自然と共存してきた。
また、1万2000年前の岩に刻まれた絵や碑文なども発見されている。ワディ・ラムとは「月の谷」という意味である。










































































































概要:
死海の南80kmの地点にあるナバテア人の造った古代遺跡。紀元前1世紀頃から交通の要所として栄え、特に乳香の取引で巨万の富を得た。西暦105年以降はローマ帝国の属州となる。その後、このペトラは長い間外国人には秘密にされ隠されてきた。1812年、スイスの探検家、ルードヴィッヒ・ルークハルトがこのペトラ遺跡を世界に紹介し、その後調査が進められたが現在ペトラ遺跡は全体の1%ほどしか発掘されていない。




























































































































































概要:
アンマンの東80kmの地点にあるウマイア朝時代のカリフ(王)の離宮。8世紀頃のカリフ、ワリード1世が建造したと言われている。内部にあるイスラム様式のハンマーム(浴場)は現存するものでは世界最古の部類に入る。また内部に描かれたフレスコ画は後期ヘレニズム美術の最高傑作とも言われている。
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廃墟に埋もれた秘宝は美しいモザイク画
ウンム・アル=ラサース(キャストロ=メファ)
★★  2012年11月訪問

感想:
アンマンの空港を降りてレンタカーを借り、一番最初に訪れた場所。ウンム・アル=ラサースは空港から車で30〜40分ぐらいのところでとてもアクセスしやすい物件です。事前の情報ではほとんど発掘されていないとのことでしたが、到着するとかなり立派なビジター・センターが出来ていました。何人かの作業員の方がいらっしゃいましたので、今後は発掘が進められるものと思われます。僕が訪れた時はなぜか無料で、ビジター・センターから5分ぐらい歩いたところに大きな倉庫のようなルーフが建っていました。かつては教会が建っていたところらしく、その床の部分にはほぼ原型のままの、かなり保存状態の良好なモザイク画が敷き詰められてありました。遊歩道みたいな通路が取り付けられてあり、上からモザイク画を見学できるようになっていましたが、特に8世紀頃のものと思われるこの地域周辺(現在のパレスチナ側)の都市の様子を描いたものが秀逸でした。他にも狩りや牧畜の様子、漁業の様子、さらには果物などの採取の様子など、当時の暮らしぶりを観察するのにも重要な資料となっています。周辺の遺跡はほとんど見る影もなく廃墟となっていましたが、このモザイク画を見学するだけでも訪れる価値はあると思いました。
アクセス:アンマン、クィーン・アリア国際空港からレンタカー



ビジター・センターに到着。世界遺産の看板がありますので、どうやら間違いはなさそうです。


この屋根の下にお目当ての秘宝があります。


内部はこんな感じになっています。


まるで絨毯を敷き詰めたようでした。

  
漁の様子と色々な果物。                        

  
当時の各都市の様子。              マダバの街。


周辺はほとんど廃墟となっていました。


ベドウィンに会える砂漠の旅

ワディ・ラム保護区

  2012年11月訪問
感想:
予定ではウンム・アル=ラサースを訪れたあと、ペトラに行こうと思いましたが、少々時間がありましたので、そのまま一気にデザート・ハイウェイをぶっ飛ばしてワディ・ラムまで行きました。入口らしき所に到着すると一人の少年が車を止めるように言いましたので、車を止めて話を聞いてみますと、ジープをチャーターして4時間ほどで100ヨルダン・ディナール(1万1千円ぐらい)などと人を小バカにしたようなことを言うので無視して発車しようとすると、80でどうだとのこと。さっき空港から来たばかりだから50しか持ってないと言うとそれでOKとのこと。予想通りキャンプの宿泊の斡旋もやってきました。もっと先にビジター・センターがありましたので結局ただの客引きだったみたいです。でも後でよく考えると普通4〜5人でジープを1台チャーターして1人20〜30ディナールが相場ですので、法外にぼったくっていたわけでもなさそうです。その少年はもっと奥にあるワディ・ラムの村に住んでいる知り合いのところまで連れて行き、その人がドライバーでした。モハメッドというドライバーが所有している自慢の日産の四駆ですが、これがまた例によってボロボロ。車内はハエだらけ・・・。日本から来たと言いうと、「ジャパン、スゴイネスゴイネ」の連発。とりあえずワディ・ラム保護区内へ。
赤褐色やココア色をした砂が広がり、荒涼とした様々な形状をした岩山が次々と現れてきました。岩山の中腹にはロレンスの泉などの史跡がありますが、彼は「ここで待っているから登ってきなよ。」などと言うので登ってきました。かなり急な崖を登らなければなりませんが、息切れしているのを彼に悟られないように、「結構良かったよ。」などと言うと、次から次へと登らなければならないハメに・・・。見栄を張って平静を装い、「このくらいは大したことないよ。」と言いながら登っていました。しかし、4つ目のころはすでにヘトヘトになっており、それでもまだ彼は、「あそこの山の頂上から綺麗な夕日が見えるよ。」と言うので、「ちょっともう時間がないのでもういいよ。」と言ってしましました。彼に話を聞くと彼はまだ20歳でベドウィンの息子とのこと。最近はヨルダン政府もベドウィンに対して定住生活を奨励しているそうで、このワディ・ラムにも小さな村が出来ています。もちろん彼は遊牧生活をしたことはないそうで、それどころかインターネットやコンピュータ・ゲームにはまっているとのこと。僕が彼の写真を撮ると、「フェイスブックやってるからこのアドに送って。」と来たもんだ。僕はフェイスブックをやったことがありませんでしたが、そんなことは恥ずかしくて言えませんでした・・・。話しているうちにとてもいいヤツだということが分かり、最初の少年もちょっと金銭感覚がズレていただけで、実際は結構いい子だったので、時代や世代が変わっても、まだまだ素朴なベドウィンの気質は失われていないみたいで、ちょと安心しました。

アクセス:ウンム・アル=ラサースからレンタカー


雄大な砂漠を駆け抜けて行きます。


所々にテントがありここでキャンプや宿泊もできます。


様々な形をした岩山に遭遇しました。


まるでチョコレートが溶けているような岩肌です。


チャーターした四駆とモハメッド君。約束通りホームページに乗せてやったぞ!


岩肌に刻まれた文字を発見!


ベドウィンの村。


薔薇色に輝く神秘の遺跡

ペトラ

★★  2012年11月訪問
感想:
ヨルダンの観光地と言われるところをいろいろと回ってきましたが、気づいたことは有名な観光地であっても地元の人々はあまり観光地ズレしていないということでした。確かに一応声はかけてきますが余りしつこくなく、またぼったくる人も余りいないということです。それどころか極めて信用できます。このペトラも中東最大の観光地ですが、場違いな施設や周遊バスなど余計なものは一切なく、適当にどうぞといった感じで非常に好感が持てました。構内はかなり広大で、特に山頂にあるエド・ディルに行くにはかなり急な山を登らなければなりませんので、困難な方はロバやラクダに乗ることもできます。まあ、乗っている観光客もあまりいませんでしたが・・・。移動手段がロバやラクダというのもいいですね。乗っていないのでいくらか知りませんが・・・。夜7時にペトラに到着しましたので、とりあえず夜8時半から行われる「ペトラ・バイ・ナイト」を先に見学しました。ロウソクだけの光を頼りに、岩が裂けてできた狭いシークを通って行きますと、突然無数のローソクの光でぼんやりとライトアップされたエル・ハズネが姿を現しました。ベドウィンの語り部と民族音楽による短いショーですが、心のこもった手作り感があって、とても好感の持てるものでした。帰り道、狭いシークを通っているとき夜空を見上げると、細長いシークの隙間から信じられないほど星々が美しく輝いていて、まるで一筋の銀河のようでした。
次の日はまる1日かけてペトラ探検。入口からエル・ハズネまで歩いて1時間弱ぐらいですが、昨夜見えなかった途中の遺跡や、シークの形状などが所々で変化してとても面白かったです。エル・ハズネは太陽の光の角度によってその色が微妙に変化するみたいで、訪れた時は太陽の光を浴びて薔薇色に輝いていました。建物は約2千年も前に垂直にそそり立つ岩肌をくり抜いたもので、完成するのに一体どのくらいの歳月がかかったのか想像もつきませんでした。しかし、これはほんの序の口。ずっと奥へ進むと形状の違う様々な建造物が同じように彫られてあり、ここが古代ナバテアの一大都市であった事が感じられました。また、ローマ時代の劇場や、王家の墓、神殿跡もあり、かなり見ごたえのある遺跡が次々と姿を現してきました。最後に最大の見所であるエド・ディルですが、ここへはかなり険しい山道を1時間もかけて登ってかなければならず、相当体力の必要な物件でした。しかし、結構年配のおじいさんや、何ていうか、そのー、欧米に多い太ったおばさんとか、みなさん自力で登っていました。それ故、頂上に到着した時の感動はひとしおで、エド・ディルも期待を裏切ることのない素晴らしい神殿でした。さらに登って行くと険しい岩山がいくつも展開する絶景のパノラマが展開していて、素晴らしい眺望が楽しめました。帰り道、山を降りているとき、登ってくる人が「あと何分?あと何分?」と息を切らせながら聞いてきましたので、「あと3分ほどです。頑張ってください。」と励ましてあげました。本当はあと15分ぐらいでしたが・・・。
アクセス:ワディ・ラムからレンタカー


  
このような岩肌の迫った狭いシークを延々と通っていくと・・・。馬に乗っても行けます。

  
つ、ついに、キタあああああああああああ!    エル・ハズネの霊廟。今から2千年以上前のものです。


太陽の光を浴びて薔薇色に輝いてきました。


かなり広大な敷地に数多くの神秘的な遺跡がありました。


王家の墓。1〜2世紀頃のものだそうです。

  
らくだに乗ったベドウィンのお兄さん。なかなかかっこいい。  エル・ハズネに似たお墓を発見。



エド・ディル。こちらも今から2千年前のものです。全て岩をくり抜いて造られています。


エド・ディルと周辺の絶景。1時間もかけて登ってきた甲斐がありました。


こちらは反対側の絶景パノラマ。疲れも吹っ飛びます。

  
登る途中、落ちないように気をつけてください。 ロウソクの光でライトアップした「ペトラ・バイ・ナイト」。


悦楽の離宮は砂漠の蜃気楼

アムラ城

★★  2012年11月訪問
感想:
どこまでも続く砂漠の中の一本道を飛ばしていたら、小さなアムラ城が見えてきました。こんな人里離れた荒涼とした砂漠の中に何故カリフのお城があるのかと言えば、表向きには外的に備えた前線基地としてだったようです。しかしそれは単なる口実で、実はカリフの秘密の隠れ家だったのです。イスラム教の国と言えば非常に戒律が厳格で、例えば女性などはアバヤやニカーブをまとい、全身、顔までも隠さなければなりません。男性もさぞかし禁欲的な生活を強いられていた事でしょう。とは言ってもイスラムの王様も人の子。この秘密の隠れ家である離宮にやって来ては、ハンマーム、飽食暖衣、美しい踊り子などなど、悦楽の極みを楽しんでいたことでしょう。アムラ城は非常に小ぢんまりとして、一見するとお城というよりも邸宅といった感じですが、内部の壁面には素晴らしいフレスコ画で彩られていました。そのフレスコ画は他のイスラム建築では見ることのない裸婦の図柄が含まれており、その作風も完全にヘレニズム美術の範疇に入る美しいものでした。この小さな離宮で王は厳格なイスラムの目を盗んで、人生のほんのひと時を過ごしていました。そんなカリフの離宮も今となっては、砂漠の中のはかない小さな廃墟となってしまいました。見学を終えて帰る途中、車のバックミラーに先ほどのアムラ城が一瞬映り、すぐに消えてなくなりました。僕が訪れたあのカリフの離宮は、砂漠の中に見たひと時の蜃気楼だったのかもしれませんね。
アクセス:ペトラからアズラック経由でレンタカー

  
砂漠の真ん中にアムラ城はありました。              いつものように世界遺産であることを確認。


  
入口から最初の部屋は宴会、集会用。   説明もせず、世間話をしていたお兄さん。


浴室の天井に描かれた北半球の天体と星座。


砂漠を行くキャラバンサライのフレスコ画。


これは完全にギリシャ風。


イスラム世界ではありえない裸婦のフレスコ画。


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