AOPY の世界遺産訪問報告
                                                              クロアチア旅行記(3)
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霧深い夜のために



  ザグレブの夜。ユーゴ内戦時は灯火管制が布かれ、空爆におびえた街も今ではすっかり平和を取り戻していました。イェラチッチ広場には家族連れやアベックなどで夜遅くまで賑わっていました。人々は歌い、笑い、子供たちはお父さんに肩車をしてもらいアイスクリームを食べていました。アベックは寄り添ってキスを交わし・・・、本当に平和を謳歌している様子が微笑ましかったです。街を見渡すと、クロアチアの国旗が多くはためいていたのが印象的でした。広場や道路、レストラン、本屋さん、雑貨屋さん、はたまたけっこうおしゃれなブティックのショウ・ウィンドウにいたるまで国旗だらけなのです。本当に自分達は自分達の力で独立を勝ち取ったんだという感慨がひしひしと伝わってきました。彼らにとって国旗とか国歌って本当に大切なものなんだなと思いました。日本でこんなことを言うと「お前、右翼か!」って言われるのがオチですが・・・。最近では日本の学校が入学式や卒業式などで国旗を掲げなかったり、国歌を斉唱しないところが増えてきているそうですが、何を勘違いしているのでしょうか?まあ、自分の国の国旗や国歌に敬意を払えない人は、こういう国に来ると必ず軽蔑されます。

  通りに出るとザグレブ名物の市電が頻繁に行き交っていました。スンチカさんは、 「路面電車には気をつけて。行ったと思ったら、また反対側から来るかもしれないわよ。」と言いました。ヴィシニア先生が育てた生徒の中で俳句の才能を開花させた女の子がいました。ヨゼフィナ・ゲルラウさんといい、日本で開かれた国際俳句コンテストで優秀賞を獲得しました。NHKの番組でも紹介された彼女の代表作です。
    The old apricot tree

 Barely clad-soft
   cloak of fog

           (杏の木 たった一枚柔らかな  霧の衣)

  ザグレブのもう一つの名物、霧と愛着のある古い杏の木を叙情豊かに詠んでいました。彼女が句を作り、彼女のお母さんがその句に合った写真を撮るという素晴らしいコラボレーションなのだそうです。

 

ザグレブの霧。確かにこの街を特徴付ける最大の要素かもしれません。2年前の晩秋、リブリャナからバスでザグレブの郊外の街に入ってきた時、まだ整備されていない道路や橋、破壊された建物は深い霧に包まれ、人通りも全く無く、霧深い街が黄色いナトリウムランプにぼんやり照らされていて、異様な光景でした。それは建物にまだ残っていたおびただしい銃弾の痕跡があるからかもしれません。平和になった現在でも、このような戦争の傷跡がむき出しになっていて、簡単には消し去ることの出来ない暗い過去が、まだ厳然と存在しているのです。日本は戦後60年たち、戦争の記憶はもう薄れているかもしれません。しかしこの国ではわずか10年前までは戦争の真っ只中でした。戦争の悲惨さ、平和の有難さ、さらには命を懸けて自分たち自身の国家を独立させたという、尊い事実を僕達は彼らから今、改めて学ばなければならないと思うのです。
   
 Drvo oraha  
     
s nebom povezuje
     
srusenu kucu

               (胡桃の木 廃墟と空を 結んでる)
ヴィシニア先生の句です。

                      ザグレブにて(2003年6月20日)


ザグレブ市内


ザグレブ名物の市電


ヴィシニア先生と


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