AOPY の世界遺産訪問報告
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快走!AOPYフランス北半分を走る!【2】

   パリからぐるっと一周、3000キロ レンタカーの旅     (2014年4月)

今回はヴェルサイユです。当然ヴェルサイユ宮殿がメインとなります。ほとんど丸一日をかけてグラン・トリアノンやプティ・トリアノンなどもゆっくり見学できました。 僕自身は過去に訪れているため省略したかったのですが、アネピーがベルバラ世代と言うことで訪れることに。ママピーのほうは何と小学生の時(つまり戦争中?)に母親(つまりAOPYの祖母、ババピー)に「マリー・アントワネットの生涯」という本を買ってもらい、読んでいたそうです。クラスのみんなに回し読みされて大人気だったとか・・・。驚愕の事実が判明!


 6日目 パリ〜ヴェルサイユ〜フォンテーヌブロー

朝8時、予約していた車を取りに、ひとり地下鉄でリヨン駅のレンタカー屋さんに。
リヨン駅構内で見かけた弦楽団。しばし聞き入ってしまいました。


レンタカーを借りて、とりあえずホテルに戻り、2人をピック・アップして、いよいよフランス北半分をぐるっと回る旅に出発です!
今回もカメラ片手に安全運転で!


パリの街を軽く1周して、最初の目的地、ヴェルサイユの街を目指します。


パリから40分ほどでヴェルサイユの街に到着。ついに前方にヴェルサイユ宮殿が見えてきました。



ヴェルサイユ宮殿、ファサード部分。金箔の装飾工事が完成されていました。今日は一日ヴェルサイユ宮殿見学です。ここもパリ・ミュージアム・パスが使えますので、切符を買うためにいちいち並ばなくてもいいので楽です。

これが完成当時の全体図です。かなり広大なことがわかります。





ヘラクレスの間(左)と王室礼拝堂。中央の祭壇上にクリコ作のパイプ・オルガンがあります。

ここから王の大広間と呼ばれる各部屋が続いています。









ヴィーナスの間。ルイ14世像。

ヴーナスの間。天井部分。
ルイ14世の治世下での出来事を、オリンポスの神々になぞらえた絵画及び装飾で彩られています。


戦争の間(マーズ・ルーム)。
ワインレッドの壁と黄金色の天井が特徴です。



メルキュールの間。
ここは主寝室ではありませんでしたが、ルイ14世崩御の直後、遺体が一時安置されていた寝台です。


鏡の間。
ヴェルサイユ宮殿最大の見どころ。
全長75m、幅10m、高さ12mの大広間。17か所の窓から光を取り入れ、なんと総数578枚の鏡によってその光が反射し、シャンデリアのクリスタルの輝きとともにかなり明るい広間となっていました。
1687年、ジュール・アルドゥアン=マンサールによって完成。宮廷内外の人々の待ち合わせ場所、通行、謁見、さらには宴会、儀式、舞踏会など、様々なことに利用されていました。
1871年、ドイツ皇帝ヴィルヘルム1世の即位式、1919年、第一次世界大戦の終結によるヴェルサイユ条約締結の場として、その後の激動の歴史を見守り続けてきたんですねぇ。


王の寝室。
豪華なタペストリーを多用しています。

 




 平和の間。                     平和の間の天井部分。

王妃の寝室。
マリー・アントワネットなど多くの王妃の出産の場としても使われていました。出産は原則公開されていました。生まれる瞬間を公開しないと、王子をすり替えたり取り替えられたりする恐れがありますからね。いやはや、なんとも・・・。プライバシーなどはありませんね。

大会食の間(グラン・クヴェールの控えの間)。
公式の晩餐が開催されるときに使用された王妃の控えの部屋。

右奥の絵はヴィジェ・ルブランによる「マリー・アントワネットと3人の子供」。








大会食の間。天井部分。




衛兵の間。
ここを通って王妃の大居室に出入りしていたそうです。当時は12人の衛兵によって守られていたそうです。










さて、一通り見終えた後は、このプチ・トレインに乗って広大な庭園探検と、グラン・トリアノンやプティ・トリアノンへ。


グラン・トリアノン到着。
1668年、ルイ14世がトリアノン村の領地を購入。1687年、マンサールによりイタリア・ルネサンス風の優美な離宮が建設されました。

ヴェルサイユ宮殿に比べ小ぢんまりとした平屋建てなので、とても親しみは沸きますね。


 



控えの間。
グラン・トリアノンに入館するとまず、この部屋から見て回ります。











皇后、マリー・ルイーズの寝室。










鏡の間。
ルイ14世の王子たちの大広間として使用された後、ルイ14世自身や王太子にも使用されました。非常に高貴な印象の部屋でした。









ルイ14世の寝室。
ルイ14世が寝室として使用したのち、王太子の寝室になり、帝政下では皇后の寝室、及び第二居間として使用されました。
1824年、ルイ18世はこの寝室で崩御しました。







礼拝堂の間。
赤茶色の美しい大理石を使用した暖炉。帝政下では皇后の第一広間として使用。
暖炉の上にはルイ15世と皇后マリー・レクザンスカの肖像画がかけられてあります。









柱廊を通って、反対側の右翼棟へ。












皇帝ルイ・フィリップの間。
もともと二間だったものを、一間に広げられたもの。黄色を基調とした威厳に満ちたたたずまい。










孔雀石の間。
ルイ14世の時は夕日を見るための間として使用され、その後王太子妃、ブルゴーニュ侯爵夫人の寝室、帝政下では皇帝の間と変遷しています。
ワインレッドを基調とした華やかな印象。







コテルの回廊。
ヴェルサイユ宮殿とトリアノンの風景画が掲げられています。
絵画の作者はアレグラン、マルタン、コテルで、この回廊はコテルにちなんで名づけられています。







庭園の間。
この大きな扉から、前面の庭園を眺められることから、庭園の間と名付けられました。











グラン・トリアノンの庭園。










またまたプチ・トレインに乗ってプティ・トリアノンへ。
1768年にルイ15世が愛妾ポンパドール夫人のために建てた離宮。ポンパドール夫人は完成前に死去、その5年後にデュ・バリー夫人に贈られました。1776年にルイ16世が即位した際に王妃マリー・アントワネットが所有。






  
錠前職人ブロショワによる階段の手すり。控えの間のルブランによる「マリー・アントワネットの肖像画」。


小宴会の間。
家具はマリー・アントワネット自身が実際に使用したものです。1784年以降はビリアード室として使用されたそうです。

壁にはヴァン・ローによる「美しい庭師」が掲げられてあります。モデルはポンパドゥール夫人です。





チェンバロとハープ。










マリー・アントワネットの内殿。
向かって右の鏡が、メルクランによって1776年に制作された移動鏡。窓を開けて外を見晴らす時は下に移動し、愛人との密会の時は外から見えないようにせり上がって、ブラインドの役割をしたそうです。








王妃の寝室。
1774年まではデュ・バリー夫人、1777年から1789年まではマリー・アントワネットが使用。











マリー・アントワネットが使用していたトイレ。
当時館内にはトイレは非常に少なく、皆さんおまる持参だったそうです。











キッチン。










当時の食器類。










愛の神殿。
プティ・トリアノンの裏手から「王妃の村里」を目指して出発。
1777年、建築家ミックによって建造されたギリシャ風の小さな東屋。









王妃の村里(ル・アモー)。
マリー・アントワネットが疑似農村体験をしていたところ。











革命前の束の間の静寂といったところでしょうか。











水車小屋。










王妃の家。
この村里には1783年から1785年にかけて、建築家ミックにより12軒の家が建てられました。
マリー・アントワネットは、親友であったランバル公妃やシャンティイのコンデ家に習い、外観はノルマンディ風で内部は洗練された家屋を希望したそうです。







マルボローの塔。
釣りも楽しんでいたとのこと。












それではヴェルサイユ宮殿はこの辺で・・・。今日の宿泊地、フォンテーヌブローを目指して一走り!

つづく








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