AOPY の世界遺産訪問報告
 



















概要:
2011年にユネスコに加盟したパレスチナ最初の世界遺産である。登録は2012年。エルサレムの南9kmに位置するベツレヘムにあるキリスト教の教会。教会の地下洞窟にはイエス=キリストが生まれたとされる場所に祭壇があり、銀製の星形がはめ込まれている。この場所をイエスの生誕の地と決めたのはローマ皇帝コンスタンティヌスの母ヘレナで、西暦325年に最初の教会が建てられた。その後修復を重ね、現在の教会は十字軍の時代のものである。
世界遺産登録にあたっては教会の領有権、ベツレヘムの帰属の問題、さらにはそもそもパレスチナを国家と認めないアメリカ、イスラエルからの猛烈な抗議を受け、世界遺産登録が政治的な問題まで発展している。登録と同時に「危機遺産」に指定された。
2002年、パレスチナ・ゲリラが立てこもりイスラエル軍との紛争の舞台となった。











































































































概要:
死海付近にあるヘロデ王が築いた難攻不落の要塞遺跡。
西暦70年ローマ軍1万5千の攻撃を受けたが、967人のユダヤ人が篭城し約2年間持ちこたえたという。最終的に陥落直前に篭城したユダヤ人は集団自決し、ユダ王国は完全に滅んだ。以降、ユダヤ民族は
2千年に及ぶ離散の歴史を歩むこととなった。現在もユダヤ民族にとって決して忘れることのできない場所となっている。
































































概要:
イスラエル南部、ネゲヴ沙漠にあるナバテア人の都市遺跡。紀元前3世紀から紀元後2世紀ごろ乳香や没香の取引で栄えた。マムシト、アヴダト、シヴタ、ハルザの都市遺跡、6箇所の城塞、隊商宿、キャラバンの交易路の一部、さらには22箇所のマイルストーンが世界遺産の対象となっている。






































































概要:
聖書に登場するテルと呼ばれる遺跡丘で、いずれも地下に造られた高度な給水システムが完備されている。
テル=ベエル・シェヴァは紀元前10世紀〜前7世紀のもので、「創世記」に登場するアブラハムの井戸がある。メギッドの丘は「ヨハネの黙示録」に登場するハルマゲドン(世界最終戦争)の語源となっている




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キリスト教最大の巡礼地

イエス生誕の地:ベツレヘムの聖誕教会と巡礼路

★★★★★  2012年11月訪問
感想:
海外、特にヨーロッパを旅しているとき「あなたの宗教はなんですか?」と聞かれることがよくありますが、僕は多くの日本人と同じように非常に信仰心の薄い人間で、自分の宗教なんて考えたこともありません。とりあえず「仏教徒です。」と答えていますが、「仏教徒」というにはあまりにもお粗末な人間で、自分でもちょっと違和感を覚えてしまいます。従いまして僕は世界の宗教を非常に客観的に見ておりますので、特にどの宗教に固執することなく、ある意味中立性を持って各宗教施設を訪れています。もちろん、訪れる際にはそれぞれの宗教を敬う気持ちは忘れないようにしていますが。このような信仰心の薄い僕ですら、訪れて感動したのがこの聖誕教会です。これまでヨーロッパの数え切れないぐらいの巡礼地や巡礼教会など訪問してきましたが、この物件は何しろイエス=キリスト本人が生まれた場所ですので、これ以上の巡礼地はありません。特にイエスが生まれた地点とされる星形のプレートと対面した時の感動は、これまでのどの聖地よりも大きいものでした。
ところで、イエスの生誕地はベツレヘムで間違いないようですが、誕生日は12月25日ではないようです。聖書にはイエスの誕生した日付の記述はありませんが、その時の様子を記した箇所はあります。
「さて、この土地に、羊飼いたちが、野宿で夜番をしながら羊の群れを見守っていた。すると、主の使いが彼らのところに来て、主の栄光が回りを照らしたので、彼らはひどく恐れた。御使いは彼らに言った。恐れることはありません。今、私はこの民全体のためのすばらしい喜びを知らせに来たのです。きょうダビデの町で、あなたがたのために、救い主がお生まれになりました。この方こそ主キリストです。」(新約聖書 「ルカによる福音書」 第2章 第8〜11節)
イエスが生まれたとき羊飼いが羊の番をしていたとありますので、おそらく4月から6月の春ではないかと言われています。まあ、キリスト教会がイエスの本当の誕生日を人々に教えるわけはありませんもんね。
さて、イスラエル側で借りたレンタカーでそのまま訪れようとも思いましたが、ベツレヘムはパレスチナ領内にあり、イスラエル・ナンパーの車は子供から石を投げられる事もあるということで、大事を取って白タクをチャーターしました。ちょうどハマスとの紛争も開始されたとのことで、テロに巻き込まれないよう、なるべく公共交通機関のバスなどは避けたほうがいいかなと思ったからです。しかし、パレスチナ領内のベツレヘム市内を訪れてみますと、街はいたって平穏そのもの。検問も何故かノーチェック。単なる杞憂に終わってしまいました。チャーターした白タクの運ちゃんは要領がいいのか気が利かないのか、頼みもしないのに案内して、さっさと先へ進んでしまい、じっくり教会内で感慨にふけることもままならず、あっという間に終わってしまいました。やはりこういう物件は面倒でも自分の足で訪れるべきだと反省しました。
アクセス:エルサレム、ダマスカス門前から白タクをチャーター
※日本はパレスチナを国家として承認していませんが、ユネスコのホームページで独立国として項目が設けられておりますので、ここではそれに準拠いたしました。


ベツレヘムの聖誕教会。


聖誕教会入口、「謙虚のドア」。非常に小さな入口から入って行きます。

  
身廊部分。床下には当時のモザイク画が残っていました。   地下洞窟に飾られてある聖母子の図。

  
聖誕教会、祭壇部分。                         地下の聖母子の図の前で祈る信者の方。

  
生誕の地を示す星形のプレート。ラテン語で「ここにてイエス=キリスト生まれたまえり」と記されています。




 
(1)

2千年に及ぶユダヤ民族離散(ディアスポラ)の原点

マサダ
★★★★  2012年11月訪問

感想:
イスラエルの世界遺産をすべて訪問いたしましたが、どの物件も非常によく整備されていて、遺跡などの模型や解説文など解りやすくする為の工夫がいたるところに施されていました。受付や中にいるスタッフの方々もとても親切で、自分たちの文化や歴史を遠い日本からはるばる見に来てくれてありがとう、といった感じでとても歓迎してくれました。イスラエルの人々がいかに自国の歴史的遺産を大切にし、誇りに思っているかを実感いたしました。そんな数あるイスラエルの歴史的遺産の中でも、最も彼らの思い入れが大きいものがこのマサダです。西暦70年にユダ王国がローマ帝国に滅ぼされ、その後2千年間にわたってユダヤ民族が世界各地に離散してしまった、いわゆる「ディアスポラ」が始まった原点だからなのです。現在でも、「ノー・モア・マサダ」の合言葉とともに、ユダヤ民族結集の象徴となっています。例えば、イスラエル軍の入隊式はこのマサダで執り行われているそうです。遠くから見ると単なる不毛の岩山のようですが、ロープウェーで山頂に登ってみますと、そこには2千年前豪華な宮殿があっただけではなく、ひとつの町としての機能があったことがわかります。訪れた時は大雨で、山頂からの絶景も霞んでしまって、大変残念でした。僕は雨男とよく言われますが、このような砂漠の乾燥した地方で大雨に降られてしまうなんて、よっぽどですね。
アクセス:エルサレムからクムラン経由でレンタカー

  
マサダの頂上へ向かうロープウェー乗り場。     立派なビジター・センターにあった世界遺産の看板。

  
徒歩でも登ることもできますが・・・。


マサダからイスラエル国旗と遥か死海方面を望む。

  
ちょっと大雨にたたられてしまいましたが・・・。          モザイク画の保存状態も良好。


荒涼とした岩山の頂上に2千年前、ヘロデ王の離宮と都市が存在していました。


沙漠に消えた聖なる伝説の都

香料の道〜ネゲヴ沙漠都市

★★★  2012年11月訪問
感想:
最初の旅程ではエルサレムの新市街地でレンタカーを借り、クムラン〜マサダ〜死海リゾート〜マムシト〜ベエル・シェバ〜テルアヴィヴと、テルアヴィヴで宿泊する予定でしたが、ハマスとの紛争が激化しそうでしたので、急遽テルアヴィヴではなくマムシトの遺跡のそばにあるキャメル・ランチに宿泊しました。雨が激しくなりマサダからマムシトへ向かう途中、死海沿岸の90号線で土砂崩れがあり、2時間近く通行止めになり、マムシトに到着したときはすでに閉まっていましたので正解でした。こんな沙漠のど真ん中のラクダ牧場にまさかミサイルも飛んで来ないだろうと思いましたが、でもよく考えるとこのすぐ近くにイスラエルのキャラメル工場がありますので、ちょっと心配でしたが・・・。まあそれはともかく、このマムシトはネゲヴ沙漠にある遺跡の中でも規模は小さいですが、非常に保存状態が良いことで知られています。次の朝早く訪れてみますと、当然のことながら誰もおらず、ゆっくりと構内を見学できました。ナバテア王国時代の宮殿を始め門や柱の装飾などかなり保存状態は良かったです。特に住宅と思われる跡にはキッチンや食糧の倉庫なども残っており、当時の様子を垣間見ることができました。また、ビザンチン時代の教会は既になくなっていましたが、床面にあるモザイク画はかなり綺麗に残っていました。ここに2千年前、香料の取引で栄えたナバテアの一大都市があったことが実感できたと思います。
アクセス:マサダからレンタカー

  
ナバテア王国時代の城門。                      いつものように世界遺産であることを確認。


住居の地下に貯蔵庫がありました。

  
こちらは門前町といった感じでしょうか。

  
住居跡にあった食糧の貯蔵庫。                   小麦粉を挽いたフラワー・ミル。

  
かつて宮殿があったと思われる遺跡。                柱部分の装飾。


悠久の歴史を辿る聖書の旅

聖書時代の遺跡丘群〜メギッド、ハツォール、ベエル・シェヴァ

★★★★  2012年11月訪問

感想:
ヨーロッパなどを旅していますと、その文化や人々の考え方など、僕たち日本人とは違っていることをよく発見しますが、その違いは彼らの発想の原点は、聖書に基づいているからなのです。彼らは子供の頃から聖書に親しんで読んでいます。従いまして、彼らの考え方を知ったり、歴史をどのように捉え、さらには彼らが今後世界はどのように進んでいくと考えているかを理解するためには、聖書を読むことが一番の近道です。日本人は聖書をキリスト教という宗教の本だと思いがちですが、聖書は「歴史の本」です。普通、歴史書は過去のことしか書かれていませんが、聖書は現在、過去、未来のことまで書かれてあり、特に旧約聖書は世界最古にして、現在もなをベスト・セラーなのです。天地の創造主である神の言葉によって書かれた「神の物語」であり、それ故、彼らは「歴史」のことを「history」と呼ぶのです。「histoy」の「his」は「彼」、つまり「神」のことであり、「story」は「物語」。つまり、天地を創った神の物語が歴史そのものなのです。そのような聖書に登場する場所を旅したことは、最高に興味深く、有意義なものとなりました。
テル=ベエル・シェヴァは旧約聖書「創世記」登場する有名なアブラハムの井戸(紀元前20〜18世紀頃)があり、当時の町の遺跡もかなり良好な保存状態でした。この遺跡はダビデ王時代の紀元前10世紀頃のものだそうです。各遺跡には当時の様子を描いた絵と説明、さらには聖書の一文が示されてあり、大変わかりやすく見学することができました。構内の一番高いところにはちょっとした展望台があり、遺跡全体と8kmほど離れた現代のベエル・シェヴァの街も見渡すことができます。正に3千年以上の時を経て、新旧のベエル・シェヴァの街がオーバーラップするという、時空を超えた絶景を楽しむことができました。
メギッドの遺跡はアッコからエルサレムに帰る途中立ち寄りました。こちらもかなり立派なビジター・センターができており、出土品や当時の様子を示す模型など、大変解りやすく展示されていました。ここは「ヨハネの黙示録」に登場するハルマゲドンの語源にもなっており(Har-Megiddo→Armageddon)、世界最終戦争の舞台と信じられてきました。遺跡の丘からはエズレル平野が一望でき、当時の人々も同じような光景を眺めていたのかもしれません。
アクセス:テル=ベエル・シェヴァはマムシトから、メギッドはアッコからレンタカー

  
アブラハムの井戸。構内は詳しい解説と当時の様子の絵のついた看板がありました。

「その日、イサクのしもべたちがきて、自分たちが掘った井戸について彼に告げて言った、「わたしたちは水を見つけました」イサクはそれをシヴァと名づけた。これによってその町の名は今日にいたるまでベエルシヴァといわれている。」(旧約聖書 「創世記」 第26章 第32〜33節)

  
展望台から遺跡を俯瞰できます。                  地下奥深い所ある当時の井戸。

  
食糧などを貯蔵していた倉庫の跡。             現代と古代のベエル・シェヴァがオーバーラップ。


メギッドのビジター・センターにある当時の様子を表した模型。


ここには馬小屋があったみたいです。


メギッドの丘から遥かエズレル平野を望む。
「これらは、しるしを行う悪霊の霊であって、全世界の王たちのところに行き、彼らを召集したが、それは、全能なる神の大いなる日に、戦いをするためであった。(見よ、わたしは盗人のように来る。裸のままで歩かないように、また、裸の恥を見られないように、目をさまし着物を身に着けている者は、さいわいである。)三つの霊は、ヘブル語でハルマゲドンという所に、王たちを召集した。」(新約聖書 「ヨハネの黙示録」 第16章 第14〜16節)



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