AOPY の世界遺産訪問報告
                                                            ルーマニア旅行記(1)
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祖国への思い



  ブダペスト西駅。午前7時40分。世界中にあるマクドナルドの中で、一番豪華だといわれる西駅の店で朝食を済ませた後、ルーマニアのクルージュ・ナポカ行きの列車に乗りました。僕のコンパートメントには40歳ぐらいの母親と、10代後半ぐらいの女の子、10歳ぐらいの男の子が乗っていました。僕は一瞥して自分の席に座り、僕達は会話をするでもなく、プスタと呼ばれる大平原の風景に見とれているだけでした。しばらくして、いつものように車掌が検札に来ました。その母親は切符を見せるとき、確かコロジュヴァールなどと、聞きなれない街の名前を言いました。コロジュヴァール??ハンガリー風の名前ですが、インターシティーがそんな駅で止まるのでしょうか。ひょっとして僕は電車を乗り間違えたのかもしれません。僕は切符を見せながら恐る恐る「クルージュ・ナポカまで。」と言うと、検札係はニコニコしてうなずいたので、間違いではなさそうです。彼らに悟られないようにこっそりとロンプラで確認しましたが、そんな名前の街は見当たりません。彼らのしゃべっている言葉からしてハンガリー人の親子のようです。僕はとりあえずビデオカメラを出して車窓の風景を撮ろうとしていると、案の定男の子はとても興味深げにこちらを見ているので、彼らを撮って見せてあげました。とりあえず、好印象。母親は女の子に、あんたは学校で英語を習っているんだから、この外人と英会話の練習をしなさい、などと言っているようでした。彼女の話によると彼女たちは、ルーマニアに住んでいるお祖母さんの家に遊びに行くところだそうです。ん?さっきお母さんが言った街の名前は、ハンガリー国内じゃあないの?と聞くと、あれはクルージュ・ナポカのハンガリー名だと答えました。なーんだ、同じ行き先じゃないか!

 クルージュ・ナポカのあるトランシルヴァニア地方は第一次大戦までハンガリー領で、現在も多くのハンガリー人が住んでいます。ルーマニア語で「はい」は「ダー」ですが、この地方では「イゲン」と言うハンガリー語を多く耳にします。そういえば、僕が訪れた頃、このトランシルヴァニア地方はルーマニアからの独立の住民投票が行われていたそうです。子供たちはハンガリー生まれですが、母親はクルージュ・ナポカで生まれ、同じ街のハンガリー人と結婚をし、仕事を求めてブダペストに移り住んだそうです。しかし、彼女達のお祖母さんは、「母国」ハンガリーに移住することなく、トランシルヴァニアにずっと住み続けているそうです。宗教的にも彼女達はカトリックですが、ルーマニアは正教です。特に80年代の所謂、少数民族への迫害が横行していた時、多くのハンガリー住民が母国やアメリカに亡命した時も、お祖母さんは頑なに住み続けていたそうです。

  ソ連崩壊後、各民族はアイデンティティーを求め、各地で戦争、内戦、あるいは民族浄化の名の下に虐殺が起こりました。しかし、この地方で表立った紛争は現在までのところ起きてはいません。それは、もともとトランシルヴァニア地方のハンガリー人は、決してマイノリティーなどではなく、むしろこの地方の文化や風習を頑固に守り続けている所謂、土着の正統的な民族であるからだと言われています。民族自立を叫ぶ時、歴史上戦争といった手段で目的を果たそうとすることが常ですが、政治的に他民族に統治されていても、伝統とか生活様式を守り抜くことでアイデンティティーを主張するといった方法は、特筆すべきものがあるのではないでしょうか。

  現在、お祖母さんはご主人が亡くなって一人暮らしだそうです。毎年夏休みに孫たちが遊びに来ることを唯一の楽しみにしています。会うたびごとに、一緒にブダペストに住もうと言っていますが、「独り暮らしでもここが私の土地だから、今さらよそには住めないよ。」と言います。そしてその親子にとっても、トランシルヴァニアは外国ではなく、確かに彼女達の祖国なのです。

                      クルージュ・ナポカにて (2002年7月9日)


ハンガリー国境を越えると、美しい丘陵地帯が続きます。


トランシルヴァニア地方に入ってきました。


トランシルヴァニアの中心都市、クルージュ=ナポカ


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