AOPY の世界遺産訪問報告
                                                           ベラルーシ旅行記(5)
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賄賂の経済学




  ローマ人は西欧諸国に法律をもたらしたと言えます。それに対し、長らく欧州の辺境地域に住んでいたスラヴ人は、法律というものをあまり重要視していません。と言うか、もともと歴史上、法と言う概念すらなかったと言ってよいです。スラヴ人の規律統制の最も効果的な手法は、上からの強力な力のみであると言っても過言ではありません。スラヴは英語のslave(奴隷)の語源だと言う説もあります。キリスト教が伝播してくる以前は、部族酋長による統制、13世紀からの所謂、タタール人の頚城時代はもとより、近世のロマノフ王朝にしてもしかり。フランスが啓蒙思想を流行させた18世紀にも、スラヴ人は相変わらず、絶対専制君主による圧政にあえいでいました。その絶対専制国家がロシア革命で崩壊し、20世紀に入ってからも、今度はマルクス=レーニン主義の登場です。続くスターリンによる恐怖政治など、スラヴ人の国家は歴史上、民主主義を経験したことは一度もありません。90年代になってやっと社会主義の時代に別れを告げたかと思ったら、今度はプーチンによる圧政です。また、経済を支配している者もマフィアまがいの連中です。この国で成功するために最も効果的なもののひとつが、法を超越した賄賂ということになっています。従って、これらの国々の憲官の腐敗は深刻な問題なのです。この事は一般庶民にいたるまで同様であります。交通違反に、犯罪のもみ消し、企業の政治家への口利き、更には汚職の免罪。ロシアをはじめスラヴ人の国では、賄賂は日常の常識なのです。いや、生活の知恵だとすら言ってよいと思います。

 

僕の滞在しているホテル、ユビレーイヤナはこの国で最も高級とされているのですが、お世辞にもいいホテルとは言えません。外観は共産国でよく見かける、スターリン様式の冷たい感じのする建物です。部屋は薄暗く、ベッドや机は中学生が図工で作ったような、ベニヤ板を貼っ付けたような代物。テレビはリモコンのではなく、チャンネルを回すやつです。お風呂は勿論バスタブなどなく、排水溝はほら穴?みたいになっています。お湯の出も悪く、水も汚く、わびしささえ感じました。申し訳程度にあるタオルは、雑巾と言ったほうが的確です。ここのトイレットペーパーは使わないほうがいいです。なぜなら、お尻が痛くなるからです。レセプションにいるおばさんの愛想の悪さは天下一品です。朝食はまずくて食べられたものではありません。これでシングル1泊120ドル。この国の平均月収の2倍です。このホテルは共産主義時代からのシステムをいまだに続けています。そのひとつがジェジュールヤナ(鍵係のおばさん)です。各階にこのジェジュールヤナがいて、掃除や鍵の預かりを担当しています。また、彼女たちには重要な仕事があります。滞在客の監視です。しかも交代で24時間監視しています。まるでスパイ小説の世界です。客が不審な行動をとっていないか、不審な人を連れて来ていないかなどチェックをして、問題があれば警察に即刻通報します。特に外国人に対しては要チェックであります。なぜならば、法外な賄賂、つまり高額の口止め料が期待できるからです。このジェジュールヤナは客を客だと思っていません。いつもつっけんどうな態度で、高圧的な態度で接してきます。日本だと掃除のおばさんですら、こんな態度の悪い従業員は3秒でクビです。

 

それにしても、毎晩気になることがあります。夜中に電話が鳴るのです。電話に出ると女性がロシア語でしゃべっています。英語でお願いしますと言うと、切れてしまいます。僕がこのホテルに泊まっていることを知っている人は、レーナさんたちだけなので、彼女に聞いてみました。彼女も電話は掛けていないと言っています。当然、彼女だったら英語で話すはずです。彼女は少し考えて、ゲラゲラと笑い始めました。「何なの??」、「それって、きっとprostituteの斡旋よ。」、「あはははは、そうなの。」、「一晩50ドルぐらいよ。試してみる? ジェジュールヤナのおばさんに5ドルの賄賂を払えば連れ込めるわよ。」と彼女がからかうので、「遠慮しとくよ・・・。」と何ともキレの悪い返事をすると、「あら、日本人の男性はみんなそうなの?」、「まあ、そんなことも無いと思うけど・・・。」、「ロシア人の男はお金があればみんなやっているわよ。この国でprostitutionは違法だけど、見つかったら賄賂を払って無罪放免だから、関係ないみたいよ。」とニヤニヤしながら更にしつこくからかうので、「そんなことにお金を使うなら、またこの国へ来るためにお金を使うね。」と、じゃじゃ馬娘に対する精一杯の応酬ではありました。
                        (ミンスクにて 2001年5月5日)



第一回会議場博物館  1898年3月1日、ここで「ロシア社会民主労働党」が創立されました。


勝利広場  祖国解放のために命を捧げたソヴィエト軍将兵を偲んで建設されました


いかにも共産国といった感じの建造物。


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