クロアチア人の女性は「ダルマチア美人」といわれ、美しくすらりとした容姿で、ミスユニバースの産地としても有名です。それに対してクロアチア人の男性はだいたい190cm以上の大男が多く、とてもいかつい顔つきをしています。黙って座っていると、何をそんなに怒っているのだろうかと思いたくもなります。街ですれ違う男もだいたい怒った顔つきをしています。でも実際に付き合ってみると、意外に親切で優しい人が多いのです。
スンチカさんの彼氏、ミルコさんもご多分に漏れず2メートルもあろうかと言うほどの大男で、結構いかつい顔つきをしています。おまけに彼は英語を話さないので、僕との会話もままならないので余計におっかないです。と言うか、彼はとても無口で、大男の割には少し背中を丸めて、何かちょっと暗い表情をするところがあります。今日は彼の車でスンチカさんと三人で、ザグレブ郊外をドライブしました。あのチトーの生まれ故郷であるクムロベツ村、ザガリエ地方のお城、スンチカさんのお父さんが所有しているブドウ畑を周るコースです。例によって、彼の素敵にボロボロの愛車に乗せてもらい、スンチカさんは助手席、僕は当然後部座席。車に乗り込む時ちょっと気になったのは、フロントガラスに張られていた黄色いステッカーでした。車椅子にライフル銃のデザインがあしらってありました。
とある売店でアイスクリームを買って彼にもどうかって言うと、いや俺はいらないよ、とそっけないお返事・・・。車中から美しい田園風景を写真に撮ろうとすると、彼はわざわざ車を脇に止めてくれたりして、なんだ結構いい奴じゃんか、と思ったりもしました。彼を見上げて、「今日は本当にありがとう。チトーの生家まで訪れることができたし、だいたい、こんなところは日本人の観光客はなかなか来るとができないんだよ。フバーラ(ありがとう)。」と言うと、わかったのか、わからないのか、不器用そうな朴訥とした笑顔を浮かべながら、何度もうなずいてくれました。
昼食の時、スンチカさんは少しずつ彼のことを話し始めました。彼は1991年のユーゴ内戦の時、市民兵として戦争に参加したのです。ソ連邦解体を機に、「モザイク国家」と呼ばれた多民族・多宗教国家ユーゴスラヴィアは、民族自決主義を合言葉に、クロアチアが独立を宣言。これに反対したセルビアが阻止するために戦争になりました。当時のユーゴスラヴィアの指導者は、あの悪名高きセルビア民族主義者、スロボタン=ミロシェビッチです。彼はその後、ボスニア=ヘルツェゴビナ紛争、さらにはコソヴォ紛争に於けるアルバニア人大量虐殺を指揮したとして、NATO軍による首都ベオグラード空爆を受け、ハーグ国際軍事法廷で有罪判決を受けることになります。何世紀にも及ぶこの民族間の激しい憎悪と怨念が再び爆発し、市民戦争と呼ぶにはあまりにも過酷を極めるものとなったのです。何しろ、昨日まで晩ご飯のおかずを分け合うほど仲のいい隣人同士が、ある日突然お互い憎しみ合い、殺し合ったのですから。ただ、セルビア人とクロアチア人というだけの違いで。当時クロアチアのテレビでも志願兵を募集するコマーシャルが頻繁に流され、ミルコさんも祖国の独立のために参加したのですが、背中に銃弾を受け、精神的にも傷を負ったのです。それまで普通のごく一般的な市民だった彼が、祖国独立のためとはいえ殺戮を犯したという、寧ろ精神的なダメージのほうが大きかったのだそうです。そう、あの車に貼られた黄色いステッカーは、ユーゴ内戦時の負傷兵の印だったのです。
「彼は本当に辛い体験をしたわ。彼は生きていくためには私が必要だし、私もそうだわ。」と彼女は言います。今では平和で美しくなったこの国でも、過去の悲惨な戦争の傷を簡単に癒すことはできません。でも、彼女のような優しい人がいて、お互い助け合っていければ、本当の意味で幸福な人生を歩むことができるのでしょう。この寡黙で純朴な青年も、彼女のおかげで、命を懸けて勝ち取った本当の意味での自由と平和を、初めて謳歌することができるのです。彼女は彼のことについて語る間中、彼の手を握っていました。彼女は日本語の習得に余念がありません。僕は彼女にとって新しい言葉を教えました。「そんなのを良き伴侶って言うんだよ。この言葉は日本ではちょっと古臭いけど、君たちのようなカップルにはぴったりだね。」
over the mountains
the grapes put forth new buds
with partner for life
(山越えて 芽吹く葡萄と 良き伴侶)
ザグレブ郊外にて (2003年6月22日)
スンチカさんとお父さん(お父さんの葡萄畑にて)
クロムベツ村
ふたりの後にひょこひょこ付いて行くだけ・・・。
ザガリエ地方のお城
ちょっとはおじゃま虫?
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