AOPY の世界遺産訪問報告
                                                         オーストリア旅行記(1)
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ウィーン気質(かたぎ)



  僕は何故こんなにウィーンが好きなんでしょうか。海外で最も長くいた街、その後もたびたび訪れているからでしょうか。或いは、崇拝するモーツァルト、ベートーヴェン、ワーグナーなどの音楽の巨匠達が集まり散じた場所だからでしょうか。しかし、それ以上にこの街の人々のおおらかな心に惹きつけられるからなのだと思います。西洋史に於いて、ハプスブルク家の帝都として欧州における保守派の代表として君臨していたにもかかわらず、何故人々はこんなにも懐が深いのでしょうか。

  この街が最も華やかだったのはやはり何と言っても、18世紀中ごろのマリア=テレジアの時代です。当時のハプスブルク家は、神聖ローマ皇帝を世襲化し、中欧、東欧に広大な領土を保有し、南にはオスマン帝国と国境を接し、たびたび戦争を起こしていました。これだけ多くの地域を領有すれば、それだけ多くの民族を抱えることになります。その大帝国の首都ともなれば、様々な民族がウィーンにやって来ました。言うなれば当時のウィーンは、今のニューヨークのような多民族が入り混じるコスモポリタンな都市だったに違いありません。多くの様々な文化や思想、珍しい品々がこの街に入ってきました。異民族に対して寛大に受け入れてくれるのは、そんな歴史があったためでしょう。この辺が、排他的なパリとは違うところです。20世紀に入り第一次大戦で敗北し、ハプスブルク帝国は崩壊するわけですが、当然ウィーンに住んでいた各民族の人々は、独立したそれぞれの故郷に帰っていきました。20世紀に於いて、人口百万人以上の大都市で唯一人口が減少したのは、このウィーンだけだったそうです。その後、ヒトラー率いるナチス=ドイツに強制併合され、第二次世界大戦に突入。敗戦後、オーストリアは米英仏ソの4カ国に分割統治され、首都ウィーンも4ヶ国によって分断されました。廃墟と化したウィーンの街は、華やかなりし帝都の面影を残すことなく無残な姿になりました。街のいたるところで犯罪、闇取引、スパイの暗躍する危険な都市に成り下がってしまったのです。いにしえのハプスブルクの帝都を知る市民は、さぞかし無念であったことでしょう。しかし間もなく、ウィーンは不死鳥の如く甦ります。冷戦時代は鉄のカーテンの最前線、中立国の国際会議の舞台として。冷戦後も音楽、芸術の都として、ヨーロッパの気品と美しさを最も兼ね備えた街になったのです。

  「ウィーン気質」と言えば、ヨハン=シュトラウス2世の有名なオペレッタですが、主人公ツェドラウ伯爵のように浮気性なのもウィーン気質と言っては怒られるでしょうか。多分女性に言わせれば、いやいや、彼の奥さんガブリエーレの方が本当のウィーン気質だと言うかもしれません。もともと彼女はウィーン生まれで、ご主人の浮気がばれても取り乱して怒るわけでもありません。ウィーン気質の奧さん、本物のWiener Blutだったりします。日本だとちょっとドロドロとしたメロドラマ風になってしまうのでしょうか。そもそもオペレッタと言うジャンルそのものが、ドタバタ喜劇みたいでとても親しみやすいです。特にこの作品は、ワルツやポルカやマズルカなど、様々な音楽を取り入れていて、シュトラウスの集大成でもあります。で、なんだかんだと言って、結局はハッピーエンドで締めくくるのもオペレッタのお決まりです。そう言えば、シュトラウスの代表作「美しく青きドナウ」はオーストリアのもう一つの国歌と言われますが、彼は実はユダヤ人の祖先を持つと言われています。この街では異民族出身の人が作曲した音楽でも、素晴らしいものであれば自然に、最大級の敬意を持って評価されるのです。

  伝統的なウィーンっ子は、ホイリゲで一杯やった後、ワルツを踊り、ワインを浴びるほど飲んで夜を明かします。独りで食事をしていたら、気がつくと一緒に踊りの中に入っていたりします。一方、豪華な舞踏会でも、男も女も、老いも若きも、バッチリ正装に身をまとい、丁寧にお辞儀をし、何度も何度も相手を換え、クルクルクルクルと回り夜通しワルツを踊ります。この街の人々は、人生を楽しむ方法を知っているのです。全ての物事の良いところと悪いところを同時にとらえて、如何なる状況でも面白おかしくこなしていくのも、ウィーン流ならではです。文化、風習が違っていても全てに対しておおらかで、何事にも動じません。古い伝統とプライドを持ちながらも、常に新しいものを吸収していく柔軟性。気品と洒落っ気を、同時に併せ持つ大人の感性。たとえどんな苦境に陥っていても、笑って苦難を乗り越える精神力。僕みたいな見知らぬ東洋人が一人でやって来ても、暖かく迎え入れてくれる街と人々。
それがウィーン気質なのです。
                             ウィーンにて(2003年2月27日)

 
当時のアパート(ウィーン5区・マルガレーテン)
1DKで家賃は日本円で3万円ほど。


周りには特に何もありませんが、静かな住宅地です。

 
最寄り駅(ケッテンブリュッケンガッセ)付近



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